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「反対するなら代案を出せ」という言葉の暴力は村上 春樹流思考で回避しよう

「代案を出せ」は言葉の暴力である。なぜなら、(まともな)代案を出せない相手に言っているのがわかっているから。反撃ができない相手をボコボコにする、大人気のない行為である。それがわかっていても僕らはつい「代案出せ」を口にしてしまう。

理由は簡単。頭に来るからだ。ムカつくからだ。根底には「人の意見に反対するのならば、代わりとなるアイデアがあってしかるべきである」という他人に対する期待がある。その期待があるから、反対するだけなら子どもでもできる、という決めつけが生まれ、もし代案がないなら感情的な動機から反対しているだけなのでは? と疑いが生まれる。「同期社員同士の醜い争い」や「嫌いな相手を困らせたい」といったくだらない感情的な問題の帰結としての「反対」は存在する。まともな代案を出せない反対は、そういうものに見えてしまうのだ。

反対は違和感のあらわれ。そう捉えれば、自分の意見に対する反対表明についても、いちいち頭に来ない。ムカつかない。車の走行中に異音がしたら路肩に停車させて点検をするはずである。反対は異音なのだ。提案やアイデアに対して「反対!」が出たら「点検しろ!」のサインなのである。