思考の過程を掘り下げたくて理由を聞く、というのはわりとよくあるコミュニケーション様式である。日常でもよく使うし、仕事では実際にそれを聞くのが大事なので、もっと使う(それはそうと、あくまでつねにニコニコしながらやらなければならないと思う)。その一方、だいたい、あまりよく考えずになんとなくそう思った、くらいのテンションのときは、なんで、どこが、と言われると答えに窮してしまうし、痛いところを突かれたような心地がすることもある。
それとは別に世の中にあるコミュニケーション様式として、婉曲的に相手に意図を伝達するというのがあり、その派生として、理由を聞く形式で間接的に糾弾するというやつがある。答えられない疑問を突き付けることで非難を行うというタイプのやつであり、「どうしてこんなことしたんだ」とか「これのどこがいいんだ」という表現が典型的である。 自分は問い詰めるタイプのコミュニケーションは苦手だし、文字通りのコミュニケーションが基本的に好きなので、あまりこういうコミュニケーションはやらない。やられると、「わかって言っているくせに」と思ってしまうからである。
それはそうと疑問形で間接的に強勢を表現するのは世界的にもありふれているので、別に否定するほどでもないのだが、どっちなのかを判別する必要があるし、人によっては表情が乏しいのでどっちの意味で言ってるのか分からなかったりする。
とはいえ、素朴に理由に興味がある場合が多いと思う。上掲されている「kwsk」もとても良いと思う。はてなで働くようになってから覚えたコミュニケーション(はてな用語?ひとでさん用語?)として「その心は」と書く/訊くというのがある。
「その心は」という単語には、特に相手を責めたり問い詰めたりする印象がない。なぞかけ的な雰囲気がある。言いやすいし答えやすい。消極的な要素よりも、積極的な要素に目を向けやすい気がする。「その心は!! 」って怒る人をあまりイメージできない。