要するに結論と根拠を「したがって」と「なぜなならば」でつなぐのが、論理だというのだ。
確かに「論理とは筋道」である。
ただし波頭亮さんは、「論理的」というためには、条件がある、という。
それは、この「したがって」と「なぜならば」について、大多数の賛同が得られるような客観的妥当性と、受け手の納得感が求められることだ。
しかし。
そう考えていくと、論理というのはどこまでも主観的要素である、とも思えてしまう。
「結論から言って」と要請しても、「結論から言えない人」というのが、大量に存在したのだ。
その話は、こちらの記事に書いてある
そしてついに、「結論ってなんですか?」という人が現れた。
そして、上司もそれに答えることができない。
そう。
「論理的」と同様に、「結論」という言葉も、非常に抽象的、かつ定義の曖昧な言葉だったのだ。
結局、上の本にも書いた通り、10年以上コンサルタントをやってきて、出した答えは要するに
「結論」とは、「相手の最も知りたい話」のことだ。
繰り返すが、「結論から言う」とは要するに、「相手の一番知りたいことから話す」ということなのだ。
「結論から言う」ことは「相手の知りたい事から話すこと」それがすなわち、「論理的に話す」ということ。
これらは全く同じ行為。
それさえわかっていれば、「論理的思考」は、もう怖くない。
小難しいことを言わずに、「相手が欲しい順番に、欲しい情報を渡してあげる」こと。
「論理的」とは、たったそれだけのことだ。