■ 1. 現代社会における死の位置づけ
- 現代社会は死を管理することに成功した社会である:
- 医療によって人々は容易に延命される
- 遺体は清潔な冷蔵庫に入れられて腐臭を出すこともなく、分業化した埋葬業者によって効率的に処理される
- かつて僧侶や神父など宗教者が担っていた死の場面は科学的な専門職の手に委ねられた
- 死への恐怖は薄れていない:
- 死を遠ざけようとすればするほど、その存在感は強くなっている
- 死を知らない社会は目の前の死をどのように取り扱っていいのかわからない
■ 2. 死を受け止めることへの不器用さ
- フィクションにおける死:
- ドラマや映画では登場人物が簡単に死に、その死を物語の一つの筋として消費している
- 演じている側も見ている側も誰も本当にそこに死があると思って作品に触れているわけではない
- 死を見ているようで実際には死の情報を受け取っているにすぎない
- 有名人の訃報への反応:
- 他者の死はどこまでいっても情報でしかない
- 有名人が亡くなると「ご冥福をお祈りします」「安らかに」という言葉をものすごい速さで繰り出していく
- 弔いの言葉は自分のうちで処理できない感情を吐き出してしまうことに向いているが、本当の意味で死を受け止めることにはならない
- 他者の死を処理することに慣れたが、死を受けとめることにはますます不器用になっている
■ 3. コロナ禍における死の感覚
- 連日ものすごい数の訃報が流れ、数字として多くの人が亡くなっているニュースが流れていた
- 二つの感覚の共存:
- 自分は運悪く死ぬことなどないだろうという感覚
- もしかしたらよくわからない死というものが自分の身の上にやってくるんじゃないかという感覚
- 経験したことのない死が自分にもやってくるかもしれないという恐怖から感染対策を徹底していった
- 死と和解することに社会があまりにも慣れていなかったことに起因する
■ 4. 生権力と例外状態
- ミシェル・フーコーの生権力概念:
- 近代以前の権力は死を与える権利を中核にしていた
- 18世紀以降、権力の重心が殺すことから生かすことへと移行した
- 国家や制度は人々の健康、出生率、寿命、衛生といった生の総体を調整・管理する装置となった
- ジョルジョ・アガンベンの理論:
- 近代国家は人々の生を守ると同時に、誰を生かすに値する存在とみなすかをも決定する
- 生を包み込むはずの権力は同時にある生を排除する力でもある
- 生を管理する権力は生を選別し排除する権力へと姿を変える
- アガンベンのコロナ禍批判:
- 生き延びること以外のすべてを停止した社会を批判した
- 人間関係、宗教的儀礼、政治的討議、友情までもが感染のリスクという名のもとに失われていった
- 生き延びることだけが唯一の信仰として残った
■ 5. 生き延びることへの執着
- 生きていくことと生き延びることの違い:
- 生きていくことは友情や愛情、文化や政治を通じて意味ある人生を営むことである
- 生き延びることは自由も共同性も奪われ、ただ生命を維持するだけの状態である
- オーガニック食品の流行:
- 有機農業、国産種子保護、糖類・パン類の拒否、加工食品・食品添加物の拒否、無農薬推奨などが含まれる
- 化学的な物質を含まないものを食べて生き延びることを目指している
- 外から何かを取り込むことをしない、化学的なものを食さない、ただありのままの生命を延長するという生き延びることが過剰に重要視されている
- ポピュリズムとの関連:
- ポピュリズムは民衆の生存、生活の不安を直接的に政治の中心に据える政治手法である
- 生き延びることに直結する問題を政治課題として掲げている
- 誰もが抱える生き延びることへの執着を揺さぶり、その生き延びることを目指す人々の集合を一つの私たちにまとめていく運動である
■ 6. 遠野物語にみる死との和解
- 明治三陸津波の物語:
- 津波で妻と子を亡くした福二が、ある月夜に亡くなった妻の姿を目撃する
- 妻は生前に想いを寄せ合っていた男と夫婦になったと告げる
- 亡くなった人々は死んでも楽しくやっているという死との和解の物語である
- 二つの意味:
- 最も親しい愛すべき人が亡くなったとき、その耐え難い出来事とどのように和解するかを示している
- 自らが死ぬことへの恐怖をある程度和らげてくれる
- 死んだらどこか遠いところに行かなければならないのではなく、この世界の近くで交流している
- 柳田國男の関心:
- 遠野物語を書いたとき死後の世界の話に非常に興味を持っていた
- 心霊研究に没頭し、死んだら魂はどこにいくのかという問いがあった
- 遠野に残る死後の世界は人々が住むこの世のすぐそばにあって絶えず交流しているような場所に位置している
■ 7. 平田篤胤の幽冥界思想
- 幽冥界の概念:
- 死後の世界を遠い彼方の異界としてではなく、現実の世界のすぐ裏側に重なるように存在する場として描いた
- 人が死んだら黄泉の国へ行ってしまうのではなく、この国土にとどまっているという考えである
- 現実の国と表裏一体にあってどこにでもあるが、目には見えないために私たちの世界と隔てられているように感じるだけである
- あの世の側からは現世の世界がはっきりと見える
- 灯火の比喩:
- 一つの灯火の籠を白い紙と黒い紙で真ん中で仕切って部屋に置いたときのようなものである
- 暗い側からは明るい側がよく見えるが、明るい側からは暗い側を見ることができない
- 現世の人間が死後の世界を直接見ることができないのはそのためである
- 死者の側からは生者の営みが見えている
- 死者と生者の関係:
- 死ぬことは決して消え去るのではなく、別のかたちで生き続け、しかも生者の世界と絶えず関わりをもっている
- 幽冥界は恐怖や穢れの領域ではなく、ただ見えないだけの並行世界として位置づけられた
- 死者はこの世から消えるのではなく、私たちには見えないこの場所で生き続ける
■ 8. 現代における課題
- 生き延びることに強くとらわれてしまうのではなく、さまざまな生き方のオルタナティヴを模索するために死ぬことの多様性について考える必要がある
- 死ぬことはいつか私たちに降りかかってくる必然の運命から目を背けるのではなく、いつかやってくる死と和解する道を探ってみることが現代において喫緊の課題である