■ 1. 映画「沈黙」の概要
- 2016年公開のマーティン・スコセッシ監督によるハリウッド映画
- 江戸時代の日本に渡ってきた宣教師の若者たちがキリシタン弾圧が最も厳しかった時代に、自分たちの信仰心が揺らいでいく物語
- なぜ苦しんでいる人たちがこんなにいるのに神は沈黙を続けるのか、なぜ彼らの心の中に何か語りかけてくれないのかがテーマ
- 普通の日本人にはなかなか伝わりにくい大きな問いかけである
■ 2. キャストの特徴
- アンドリュー・ガーフィールド(アメイジング・スパイダーマンのスパイダーマン役)がセバスチャンという主役のカトリックの司祭を演じる
- アダム・ドライバー(スター・ウォーズのカイロ・レン役)がフランシスという司祭を演じる
- リーアム・ニーソン(スター・ウォーズ エピソード1のクワイ=ガン・ジン役)がフェレイラ神父(イエズス会最強の司祭と言われた人物)を演じる
- マーティン・スコセッシはなぜここまでハリウッドアクションスターを集めたのかという疑問がある
■ 3. 物語の背景
- 島原の乱の後のキリスト教が最も弾圧された頃の日本が舞台
- イエズス会最強の神父であるフェレイラがどうも日本でのカトリック弾圧に負けてキリスト教を捨てたという噂がイエズス会本部に伝わってきた
- あの人でもダメだったらもう日本という国はダメだと思って切り捨てようとしたが、それに対してカイロ・レンとスパイダーマンが「いやいや待ってくれ」と言って日本に旅立つ
■ 4. イエズス会の特徴
- イエズス会はカトリック教会の中の1派閥みたいなもので、戦闘力を持ったカトリック教団である
- 布教の仕方も強烈で、司祭や神父自体が力を持って戦うつもりの宗教者というより、現地で生き抜いてサバイバルして教義を布教するという特殊な集団
- 国王や政治に対して意見をする団体でもあった
- 豊臣秀吉が日本統一して朝鮮出兵する時、ポルトガルやスペインの船が日本人を奴隷として連れて行こうとするのを見て激怒した
- 実はイエズス会自体はポルトガルやスペインの国家の奴隷貿易に反対していて、何回も意見書を出していた
- イエズス会は政治に対する意見をする絶対君主制という権力に対して戦闘力を持ってしまった介入団体でもあった
- 銀河共和国議会とジェダイ騎士団という関係に似ている
■ 5. 遠藤周作の原作との違い
- 遠藤周作の原作「沈黙」では神は何も語ってくれないということが書かれている
- イエス・キリストがゴルゴダの丘に貼り付けになった時に「神よなぜあなたは私を見捨てるんですか」と言った時に神は答えてくれなかった
- これはキリスト教徒の永遠の問いである
- ひどい弾圧されている日本の中でそれでも一生懸命神を信じようとしているかわいそうなキリシタンが絶望している時になぜ励ましの言葉を与えてあげないのか
- 神が沈黙していることのなぜなんだというのがテーマ
- 無信仰者からしてみたら神様なんか存在しないから沈黙しているのは当たり前だが、神を信じているものにとってはなぜ神は沈黙し続けているのかが悩みとなる
■ 6. 遠藤周作の原作のテーマ
- 神というのは実は不在(いない)かもしれないという悪魔の囁きがメインテーマである
- 強きものはキリスト教を信じるなとか捨てろという試練や拷問に耐えることができるから耐えなければいけない
- でも弱きものの味方こそが本当はキリスト教の本質ではないのか
- イエス・キリスト自身を銀貨13枚で売ってしまったユダこそが貧しきものであり弱きものだから、本当はああいう人が神に愛される人ではないのかというかなり逆説的な内容
- 弱きもの、拷問に負けてしまうもの、転ぶものこそがキリスト教の教徒としての本質ではないか
- では拷問に負けない強さというのはどんな意味があるのか
- でも神の前ではそんな個人ごときの信仰心の強弱などは全て等しく無力であって、それこそが神の愛する人の本質であるというとんでもないことを書いている
- これは毎日神様に祈って信仰心を強くするというカトリック教会そのものを否定している本でもある
- キリストを裏切ったユダも信仰のために島原の乱で処刑されたキリシタンもその上下はないと書いている
■ 7. 原作の結末
- 主人公は何回も何回も裏切るスパイ役の吉次郎というやつが出てくる
- 吉次郎は最初から最後まで本当に情けなくてずるくて弱くて最低の人間として書かれている
- 最後主人公はキリスト教を捨ててしまい、すでにパードレ(神父)ではない、神父の資格を失った1人の人間として日本人として生きなければいけなくなる
- そこに吉次郎が懺悔を聞いてくださいと言いに来る
- 主人公はもうすでにキリスト神父でもないしキリスト教徒でもない「転び」という人間として1番ダメな人間だから、そんな人間がなんで懺悔を聞く資格があるんだと言う
- 吉次郎は「いやあなたは私の懺悔を聞くことができるはずです」と言う
- 主人公は形だけだからということでもうすでに自分はキリスト教徒ですらないんだと思いながらもその懺悔の言葉を聞く
- この時に初めて全編を通して初めて主人公は小説の中で神の声を聞く
- それまでずっと沈黙を保っていた神がようやっと主人公に語りかける
- それは「神は沈黙しているんだけども、それに対して私がこれまで生きてきたこと全てが神について語っているんだ」というアクロバチックな論理
- 最後主人公はキリスト教を捨ててヨーロッパを裏切ってイエズス会を裏切ってしまった後で、自分と同じく1番弱い何回も何回も転んで何回も何回も踏み絵を踏んで何回も何回も裏切った人間がもう本当に何百回目にこう「もう今度こそ信じます。今度こそ信じます」という懺悔を聞いてあげることで、ようやっとキリストというか神の声を聞くことができたというお話
■ 8. キリスト教の本質
- ほとんどのキリスト教徒は神は存在するということを頭から信じていない
- そうではなく神は存在しないかもしれないという不安があって、毎日毎日信じようとするのがキリスト教徒である
- だから懺悔というのがある
- 懺悔とは信仰心が薄らいでしまった故に「私はこんなことしてしまいました。私は隣人に嘘をついてしまいました」と告白すること
- なぜかというと神の教えというのが自分の中で揺らいだから、つまり神の存在を信じきれていなかったからである
- 日本人がついつい考えているキリスト教というのは神様の存在をもう頭から信じているバカみたいに呑気な人ではない
- 神様の存在という信じにくいものを毎日毎日努力して信じ続けようとする姿勢のことを信仰と言う
- 大事なのは神の存在を信じるという信仰という姿勢で、そのための祈りがある
■ 9. ユダヤ教とキリスト教の違い
- ユダヤ教の例え:
- ジャイアンという怖い人がいて最近家にこもって出てこない
- スネオがジャイアンが来るぞと言ってみんなを警告する
- ジャイアンが来るからみんなちゃんとしなければいけない
- ジャイアンは恐怖であって全てを支配している
- もうすぐジャイアンが来て全て俺たちがやっていることを「お前はどうだどうだどうだ」と言ってリサイクルに連れて行ったりしてしまう
- だから俺たちは正しく生きなければいけないというこのスネオの姿勢がユダヤ教
- このジャイアン=神というのを暴力であって怒りであって許してくれないものと捉えるのがユダヤ教
- キリスト教の例え:
- ジャイアンというのを人間の心では測りかれない不可知な愛であると仮定したらこれがキリスト教
- ジャイアンは私たちを見ていらっしゃいます
- ジャイアンは理不尽なことをなさいますが、それは私たちが分からないだけで、あの歌にも何か意味があるんです
- これが新約聖書の世界
- この世界は理不尽であって、飢餓や貧困や憎しみが何ぼでもある
- それに対する説明原理として「そういうものがあるから私たちは身を正さなければいけない」という律法主義がユダヤ教
- キリスト教は「それら全ては私たちに与えられている試練であってその理由を問うこと自体がすごいおこがましいこと」だと考える
- ジャイアンがこの世の中にいらっしゃって人間はそれに対して敵わない
- だから人間は何か成し遂げることができるんじゃないのかとか他の人より上に立つことができるんじゃないのかというような驕りを捨てましょうというのがキリスト教
■ 10. マーティン・スコセッシの解釈
- マーティン・スコセッシはこの「沈黙」という原作を恋愛物として1度読み替えた上で映像化した
- 声が聞こえるではなくて姿が見えるというところに変換した
- この恋愛物という風に変えたのが原作の大変更ポイント
■ 11. エヴァンゲリオンとの関係
- エヴァンゲリオンはこの「沈黙」の構造でできているのではないか
- 主人公の碇シンジ君にとっては「綾波もアスカも僕を裏切った。なんであんなに冷たいんだ?ミサトさんはなぜ僕の問いかけに答えてくれないんだ?なぜ父さんは」というのがエヴァである
- エヴァンゲリオンの旧劇場版は辛くて、それの比較で新劇場版エヴァがその対比になっている救いになっているのではないか
- 根本に信仰とか宗教があるものというのは、途中でその信仰の人間がどんな風に心が揺らいで、周りの人間が実は優しく接してくれているはずなのに冷たく見えるというのはそういう仕組みになっている
■ 12. 日本のアニメにキリスト教モチーフが多い理由
- 日本におけるキリスト教の信者数は人口の約1%前後で、聖書の教えは多くの日本人にとって身近な信仰ではなく異文化の象徴として存在している
- この距離感は物語にとっては大きな武器になる
- 信仰的制約がないため作家たちは聖書を題材として自由に扱える
- 創世記、堕天使、聖杯など聖書には人間の本質を問う強い物語構造が詰め込まれている
- この人類共通のテーマはアニメ作品に深みを与える装置として機能している
- 新世紀エヴァンゲリオンではリリスやアダムといった聖書由来の名前が多く登場するが、その意味は宗教的な再現ではなく「人類とは何か」という哲学的な問いを演出するための象徴だった
- 鋼の錬金術師も同じで、禁忌を犯すという構造はまさに旧約聖書の知恵の実のモチーフそのもの
- 聖書を信じているというよりも聖書の物語を理解しそれを文学的素材として使っているというのが実際のところ
- 西洋文化における光と闇、天と地といった二元的な価値観は日本のアニメ表現に強いドラマ性を与えた
- 日本の神話や仏教思想は曖昧さや共存を重んじるが、その対極にある善と悪の絶対的対立は物語に新しい緊張感をもたらした
- 90年代以降この聖書的モチーフは視聴者が宗教的意味よりも思想的哲学的要素として作品を解釈するようになった
- 聖書の登場人物や物語構造は象徴として独自に再利用されアニメの中で再構築されてきた
- 言葉の響きの美しさ(エル、セラフィム、アーメンなど)も音の印象が独特で神秘性を強調する効果がある
■ 13. まとめ
- 日本のアニメに聖書モチーフが多く登場する理由:
- 宗教的制約が少ない
- 普遍的な人間ドラマを描ける
- 異国的な象徴性が魅力的
- 音や言葉が作品を支える
- これらは単なる演出ではなく日本の創作文化がどう異文化を翻訳してきたかという重要な歴史でもある
- 異文化の物語を借りながら自分たちの哲学を語る、ここに日本アニメの独自の魅力がある