「富嶽」のニュースをきっかけに事業仕分けが再び思い起こされているが、あれはやっちゃいけないことだった。
「『2位ではだめですか』との質問に理路整然と答えればよかっただけ」との指摘もある。自分もかつて少しそう思っていたが、実際に取材して考えが変わった。
正確に言うと自分が取材したのは自民への政権交代後の後継企画である「事業レビュー」だが、本質は同じだろう。 対面には口の立つ政治家と予算カットを狙う官僚、周囲には殺気立つマスコミが押し合いへし合い。こんな環境下で弁舌さわやかに自らの研究の重要性を語れる学者は少数派だろう
逆に言えば、大して重要でない研究も学者の弁が立つなら予算を確保できるし、どんな重要な研究も口下手ならハイおしまい。 ノーベル賞受賞者の顔を浮かべてほしい。全て弁舌さわやかだったろうか。むしろ口下手の方が多いと思う。そういう人たちをスポイルしかねないのが事業仕分けだった。
確かにビッグサイエンスに限らず公的資金を使う研究は一定の説明責任が研究者に要求されるものではあるけれど。
それはああいう公開処刑のような見世物でやる必要性・必然性は存在しないし、一発勝負で決めるようなことでもない。
あれはただの民主党の自己満足だったし、あの記憶がある限り、旧民主党系の野党に国政を任せることはない。