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文章は、書くものではなく話すものになるのか?

今でも、指や声でコンピュータに入力された文章は、目に見える文字ではなく、目に見えないデータとして記録されています。出力も、文字と音声のどちらでも可能です。つまり「読む」の代わりに「聞く」でもいいわけです。いずれ、コンピュータからの出力に限らず、目に見える文字を全部読んでくれる装置もできるでしょう(既にあるかもしれませんが)。

そうなると、「文章を読み書き(記録・認識)するために、文字の読み書きが不要になる」という時代になります。良いか悪いかは別として、近い将来、一般の人は文字の読み書きをしないで生活できる世界に戻るのかもしれません。

究極の姿としては、読む・書く・話す・聞く、という4技能のうち、「書く」と「話す」が一体化し、「読む」と「聞く」も一体化して、要は「入力」と「出力」の方法が一つずつできればいい、とも考えられます。いずれかの機能に困難を抱える人にとっては、暮らしやすい世の中になるのは間違いないでしょう。

ただ、現実問題として、赤ちゃんが言葉を覚える時には「聞く」と「話す」が先でしょうし、耳より目の方がはるかに情報量が多いので「読む」の便利さも捨てがたいものがあります。そうすると、実際になくなる可能性があるのは「書く」だけなのかもしれません。

実際、それなりの文章を書ける人間や複雑な文章を読み解ける人間は減少しているので十分ありえる話ではある。

そのような世界では人々は文章ではなく詩や歌で情報や感情を伝えるようになるのだろうか。