紅海文書にはいくつかの異なる種類の文書があるが、最も人々を興奮させたのが、メレルの日誌だった。メレルは建造部隊の監督官を務め、大ピラミッド建造中の3カ月間、自分の部隊の活動を日々記録していた。
およそ200人の労働者が所属していたメレルの部隊は、エジプト中を旅して、大ピラミッド建造に関わるあらゆる業務の遂行を担っていた。特に興味深いのは、ピラミッドの外装に使用された石灰岩の化粧石だった。メレルは、トゥーラの採石場から石灰岩を切り出してギザまで運んだことを細かく記録していた。
四角く切られた石は、ナイル川を行く船に乗せられ、運ばれた。途中、港の事務所で石の数を数えた後、船はギザへ向かった。日誌のある一片には、採石場からピラミッド建造現場までの3日間の旅の記録が次のように書かれていた。
25日目:監督官メレルは、南トゥーラで部隊とともに石を運んだ。南トゥーラで一夜を過ごした。
26日目:監督官メレルは、部隊とともに石を積んだ船で南トゥーラを出港し、アケト・クフ(大ピラミッド)に向かった。シェ・クフ(ギザのすぐ手前にある港。事務所と石の保管場がある)で一夜を過ごした。
27日目:石を積んでシェ・クフを出港し、アケト・クフに向かった。アケト・クフで一夜を過ごした。
翌日、メレルとその部隊は新たな積み荷を受け取るために採石場に戻った。
28日目:朝、アケト・クフを出港し、川を通って南トゥーラへ向かった。
29日目:監督官メレルは、南トゥーラで部隊とともに石を運んだ。南トゥーラで一夜を過ごした。
30日目:監督官メレルは、南トゥーラで部隊とともに石を運んだ。南トゥーラで一夜を過ごした。
メレルの日誌には、クフ王の異母兄弟で、「王の仕事のすべてを司る」地位に就いていたアンクハフの名も登場する。パピルスのある一片に、こう記されている。「24日目:監督官メレルは、部隊とともに(文字欠落)を運び、高位にある人々や大隊、そしてロ・シェ・クフの宰相である高貴なアンクハフと過ごした」
メレルはさらに、部下たちの報酬についても細かく記録をつけていた。ファラオ時代のエジプトには貨幣がなかったため、報酬は一般に穀物によって支払われていた。受け取る量は、職位によって異なっていた。また、労働者の基本的な食事は、パンや様々な肉、ナツメヤシ、はちみつ、豆類などで、それらを全てビールで流し込んでいた。
昔から、大ピラミッド建設には大量の労働力が必要だったとされてきたが、労働者の身分については議論の対象になってきた。多くの歴史家は、労働者が奴隷だったに違いないと主張してきたが、紅海文書に書かれていることはこの考えと矛盾している。メレルによる詳細な報酬記録は、ピラミッドを建造した人々が有能な労働者であり、その労働と引き換えに報酬を受け取っていたことを示している。