■ 1. 2025年ノーベル経済学賞の受賞者と受賞理由
- 受賞者: ジョエル・モキイア、フィリップ・アギオン、ピーター・ホーウィット
- 受賞テーマ: 経済成長とイノベーションの重要性
- モキイアの専門: 産業革命による経済成長の研究を行う経済史の分野
- アギオンとホーウィットの専門: イノベーションと経済成長との関係についての理論的研究
- 意外性: 経済成長分野は2018年にポール・ローマー、2024年にアセモグル、ジョンソン、ロビンソンが受賞しており、近い分野で受賞が相次いでいた
■ 2. イノベーションの重要性に関する歴史的背景
- 一般的認識: イノベーションが経済成長に重要であることは数十年前から繰り返し語られている
- シュムペーターの貢献: 1911年の創造的破壊理論でイノベーションによる経済発展を提唱した
- シュムペーターの主張:
- 新興企業が新たな市場を創造し既得権益の旧弊な企業を潰すことで経済は発展する
- 1940年代に宗旨替えして大企業内での研究開発が主導するという見解に変更
- アギオンの認識: 著書『創造的破壊の力』でシュムペーターの発想とその影響を明言している
■ 3. アギオンとホーウィットの理論的貢献
- 課題: イノベーションの重要性は認識されていたが、それを理論に採り入れて発展させる方法が不明確だった
- モデル化の必要性: 現代の経済学では数式モデルによる定式化が必須である
- 困難さ:
- イノベーションという概念は万能すぎて定式化が困難
- 研究開発費の配分や期待リターンの考慮が必要
- 功績: 1990年代初頭に経済全体として整合性を持つ形でイノベーションをモデル化した
- 意義: 単なるお話にすぎなかったイノベーションをまともな形で理論的に扱えるようになった
■ 4. 競争とイノベーションの関係
- 逆U字の関係: 競争はある程度まではイノベーションを促進するが、競争が激しすぎる環境ではイノベーションはかえって下がる
- 実証方法: 散布図に逆U字曲線をフィットさせることで関係を示した
- 批判点:
- 散布図からは逆U字の関係が明確に読み取れるか疑問
- 統計的有意性はチェックされているが実務的には競争が多い方がイノベーションは起こりがちという程度
- データ処理の誤りなどで断言できるほどのものではない
■ 5. 実証研究への批判
- 機関投資家と企業の研究: 機関投資家が大株主の企業はきっちり監視されるからイノベーションが盛んになるという2013年論文
- 問題点: データ処理の誤りなどで決して断言できるほどのものではないことが指摘されている
- 評価の限界: 理論面での貢献は認められるが、具体的な知見をもたらすはずの実証面が怪しげであれば利益も割り引かざるを得ない
■ 6. モキイアの産業革命研究
- 受賞の驚き: 経済史研究者で数式モデルには一切縁がない人物が受賞したこと自体が驚きだった
- 評価の分かれる点: 過度に数理モデル偏重の経済学への一石と評価する声と、歴史はお話の世界だから受賞すべきでなかったという声がある
- 研究対象: ヨーロッパの産業革命の研究
- 産業革命の特殊性: 歴史上たった一度、18世紀イギリスでしか起きなかった現象である
■ 7. 成長の文化という概念
- モキイアの主張:
- ヨーロッパには知識社会があり新しいアイデアが相乗効果を生み出した
- 労働者や職人の高い技能が社会全体に浸透していた
- エンジニアのネットワークにより次々に改良が加えられた
- 科学者同士が連絡を取り合い王立科学協会などが発展のインセンティブを作り出した
- 要約: 社会全体に知識を重んじる風土があり理論研究と応用研究が結びついていた成長の文化が産業革命を生み出した
- 批判点: 成長のためには成長の文化が必要でしたというのはトートロジーでしかない
■ 8. モキイアの理論への疑問
- 因果関係の問題: 王立科学協会があったから科学が進んだという主張には箱もの行政的な倒錯の匂いがある
- 本質の逆転: 協会も雑誌もネットワークも原因ではなく在野の研究者やマニアの活動の結果ではないか
- 比較の限界: 産業革命は一回しか起きていないため他と比較してあれがなかったこれがなかったというのは簡単だが本質かどうか不明
- 実用性の欠如: 成長の文化がないところはどうすればいいのか、その文化はどうすれば生えてくるのかに対して答を持っていない
■ 9. 開発援助への意味合い
- イノベーションフェチの問題: 開発援助業界ではイノベーションがバズワードとして猛威をふるっている
- 実態との乖離: スマホアプリでメモを取るようになった程度のことをイノベーションと呼んでいる
- ブランシャールの指摘: ほとんどの経済は最先端のイノベーション競争に陥る必要はなく地道な努力だけで普通に経済成長は実現できる
- クルーグマンの知見: 経済で最も重要なのは生産性の向上だが、どうやれば生産性が上がるのかは結局のところよくわかっていない
- 現実的なアプローチ: もう少し地に足のついたイノベーション観が必要であり、地道な部分での経済成長実現が開発援助の実務では重要である