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生命の設計図は“4文字”だけではなかった?DNAに未解明の「幾何学的コード」が隠されていることが判明

要約:

■ 1. 研究の概要と衝撃

  • ノースウェスタン大学の研究チームがDNAの塩基配列ではなく、その3次元的な形そのものに刻まれた第二の言語、すなわち幾何学的コードの存在を明らかにした
  • 2025年10月27日に科学誌『Advanced Science』に発表された
  • 生命の設計図として知られるDNAの情報は、アデニン(A)、シトシン(C)、チミン(T)、グアニン(G)という4種類の化学塩基の文字列によって書かれているという常識を根底から揺るがす可能性を秘めている

■ 2. 従来の謎

  • ヒトゲノム計画が完了し全遺伝情報が明らかになったとき、多くの科学者は生命の謎のすべてが解き明かされると期待した
  • しかし大きな謎が残された:なぜ私たちの体にあるすべての細胞は皮膚から脳、心臓に至るまで全く同じ遺伝子(DNA配列)を持っているのに、それぞれ全く異なる姿形と機能を持つのか
  • この問いは配列情報だけでは説明がつかない生命の複雑さを示唆していた

■ 3. 幾何学的コードの発見

  • Backman教授率いる研究チームはDNAにはATGCの化学的な言語に加え、その物理的な形状に埋め込まれた幾何学的コードという第二の言語が存在することを示した
  • Backman教授:「私たちは固定された遺伝子の指示書に基づいた所定のスクリプトではなく、何百万年もの間その複雑さと能力を進化させてきた生きている計算システムなのです」
  • 生命は単にプログラムを実行する機械ではなく、自ら情報を処理し記憶し適応する能力をDNAの形の中に組み込んでいる
  • 遺伝暗号が辞書に並ぶ単語だとすれば、この幾何学的コードはそれらの単語を使って物語を紡ぐ文法や言語そのものに相当する

■ 4. パッキングドメインの構造

  • ヒトの細胞一つに含まれるDNAをすべて繋ぎ合わせると約2メートルになるが、直径わずか数十マイクロメートルという極小の細胞核の中に収まっている
  • 答えはDNAが驚くほど高度かつ精密に折り畳まれているから
  • 折り畳まれたDNAが「パッキングドメイン」と呼ばれるナノスケールの機能的な塊を形成している
  • このパッキングドメインこそが細胞の記憶を物理的に保存するメモリノードとして機能する生きたマイクロプロセッサのようなもの
  • パッキングドメインは主に3つの機能的な層で構成されている:
    • コア(核):ドメインの中心部に位置しDNAが非常に高密度に凝縮した領域で、主にヘテロクロマチンと呼ばれる遺伝子情報が不活性な状態で構成されている
    • 外側ゾーン:ドメインの最も外側に位置しDNAが比較的ゆるく存在する領域で、主にユークロマチンと呼ばれる遺伝子情報が活性な状態で構成される
    • 理想ゾーン:コアと外側ゾーンの間に存在する中間的な密度の領域で、遺伝情報が実際に読み出される転写という生命活動の主要な舞台は、この理想ゾーンで最も効率的に行われる

■ 5. イントロンの役割の再発見

  • 遺伝子にはタンパク質の設計情報を持つエクソンと、その間に挟まれたイントロンと呼ばれる領域が存在する
  • 長年イントロンは情報を持たないジャンクDNAの一部と見なされることもあった
  • しかし今回の研究でイントロンこそがパッキングドメインという立体構造を形成するための重要な建築部材だったことが判明した
  • 研究チームがヒトゲノム全体を解析したところ、エクソンの長さとそれを支えるイントロンの長さの関係が、ランダムなものではなくべき乗則(パワーロー)という明確な物理法則に従っていることが発見された
  • これは遺伝子の構造が偶然の産物ではなく、物理的な制約の中で最適化された幾何学的な設計に基づいていることを強く示唆している
  • 重要な情報を持つエクソンを転写に最適な理想ゾーンに正確に配置するために、イントロンが足場やクッションのように機能しパッキングドメイン全体の大きさと形を調整している

■ 6. 進化への影響

  • 幾何学的コードの発見は生命がどのようにして単純な生物から複雑な生物へと進化したのかという壮大な謎にも新たな光を当てる
  • カンブリア爆発(約5億4000万年前)で突如として多様なデザインを持つ動物たちが爆発的に出現したが、この急速な進化はダーウィンの進化論をもってしても説明が難しい謎の一つとされてきた
  • Backman教授らは幾何学的コードこそがこの進化のジャンプを可能にした原動力かもしれないと考えている
  • 従来の進化の考え方は新たな遺伝子(新しい単語)が偶然生まれることで新しい機能が獲得されるというものだった
  • しかし幾何学的コードは全く新しい進化のモデルを提示する:新しい単語(遺伝子)を発明するのではなく、既存の単語(遺伝子)の組み合わせ方や使い方(文法=幾何学コード)を変化させることで全く新しい物語(新しい身体プラン)を創り出す
  • コンピュータのハードウェア(遺伝子)はそのままにオペレーティングシステム(OS)を根本的にアップグレードすることで全く新しいアプリケーションが動くようになったようなもの
  • 研究チームが様々な生物のゲノムを比較解析した結果:
    • 酵母のような単細胞生物のゲノムはイントロンとエクソンが直線的な関係にありべき乗則は見られない
    • しかし線虫、ゼブラフィッシュ、マウスと生物の体が複雑になるにつれてこの幾何学的なべき乗則が顕著になっていく
    • これはゲノムの幾何学的複雑化が身体の複雑化と並行して進化したことを示す強力な証拠である

■ 7. 自己学習の能力

  • Backman教授はこの幾何学的コードが生命に自己学習の能力を与えた可能性を指摘する
  • 偶然起こる遺伝子変異はいわば生命の試行錯誤である
  • その中で生存に有利な変化が起きた場合、その遺伝子の使われ方が選択され幾何学的コードとして細胞の記憶に物理的に刻み込まれる
  • この成功パターンの保存メカニズムが次の世代の進化の土台となる
  • これはまさにAI(人工知能)における強化学習のプロセスと酷似している
  • Backman教授:「AIのルールはゲノム幾何学の根底にある計算ルールを反映している」と述べ、生命そのものが壮大な計算システムであることを示唆している

■ 8. 医学・治療への応用

  • 老化、がん、神経変性疾患への新たなアプローチ:
    • Almassalha氏:「老化に伴いこの(幾何学的な)言語はその忠実度を失う。この劣化が神経変性、がん、あるいは他の加齢性疾患をもたらす」
    • つまり老化とはDNA配列が変化するのではなく、その正しい折り畳み方の記憶が失われ遺伝子を正しく読み書きできなくなる状態である
    • Backman教授:「細胞の記憶は経験によって強化される物理的な構造です。細胞を活性化させることは愛されてきた本の明瞭さを取り戻すことに似ています。つまり私たちの細胞がすでに語り方を知っている物語を取り戻すのです」
    • 具体的にはゲノムの正しい形状を復元するような薬剤や技術を開発することで、失われた細胞の記憶を取り戻し老化やがん、アルツハイマー病などの疾患の進行を食い止め、あるいは逆行させることができるかもしれない
  • がん遺伝子とヒンジ領域の危険な関係:
    • パッキングドメイン同士を繋ぐ柔軟なヒンジ(蝶番)のような領域が存在すると考えられている
    • このヒンジ領域は構造的に不安定なためDNAの複製エラーや損傷が起こりやすいホットスポットになる可能性がある
    • 研究チームががん遺伝子のデータを解析したところ、実際に多くのがん抑制遺伝子やがん遺伝子(TP53、BRCA1/2など)がこのヒンジ領域に位置する傾向があることが示された
    • これはゲノムの幾何学的構造そのものががんの発生リスクと密接に関わっている可能性を示唆する

■ 9. 未来への展望

  • 私たちはプログラムに従うだけの受動的な存在ではなく、環境と相互作用しながら絶えず情報を処理し学習し進化し続けるダイナミックな生きた計算システムなのかもしれない
  • Igal Szleifer教授:「進化を辞書に単語を追加することではなく、それらを使って物語を書くことを学ぶ過程として想像してみてください。語彙から歌へ、配列から言語へと。次に何が来るのかは本当に想像力を掻き立てます」
  • DNAの形に秘められた生命が40億年かけて書き上げてきた壮大な物語の解読はまだ始まったばかりである
  • この発見は生命とは何か、そして人間とは何かという根源的な問いを私たちに改めて突きつけている