/note/science

【ゆっくり解説】沖縄起源説は間違いだった!?北硫黄島の謎の古代文化。2000年前にマリアナ諸島から...

要約:

■ 1. 北硫黄島石野遺跡の概要

  • 北硫黄島は小笠原諸島火山列島に属する絶海の孤島で、周囲を断崖絶壁に囲まれた無人島である
  • 1991年に約2000年前(弥生時代)の石野遺跡が発見され、大きな注目を集めた
  • 遺跡からは石を積み上げた構造物、シャコガイ、サンゴ、土器、積石遺構などが発見された
  • 発見された土器は底が平らで模様がほとんどないシンプルな形状であり、日本の縄文土器や弥生土器とは異なる特徴を持つ
  • 放射性炭素年代測定の結果、遺跡の年代は約2000年前と判明した

■ 2. 従来の沖縄起源説

  • 2005年の発掘調査報告書では、石積遺構やシャコガイ、サンゴが沖縄方面の墓や祭祀遺跡と類似することから、沖縄方面との関係が極めて密接と評価された
  • 一方で土器については「立地・比較困難な独自の在地土器」とされ、文化的繋がりがあるにも関わらず土器は独自という矛盾した評価となった
  • この評価の背景には、当時マリアナ諸島の考古学研究成果がほとんど反映されていなかったという見落としがあった

■ 3. マリアナ諸島との類似性

  • 土器の形態:
    • 北硫黄島の土器は底が平らな鉢型で、マリアナ諸島の平底土器群も同様の平底八屋形が特徴である
  • 土器の厚さ:
    • 北硫黄島では最大3cm超、マリアナでは最大4cmに達する分厚い土器が存在する
  • 土器の大きさ:
    • 北硫黄島では直径50cm超、マリアナでは40-60cm以上の大型土器が多数確認されている
  • 胎土の特徴:
    • 両者とも大量の砂粒が混入され、粗雑な質感を持つ
  • 表面処理:
    • 両者とも基本的に無文で、横方向の撫で調整や磨きで仕上げられている
  • アジロ圧痕:
    • 両者の土器底部に植物で編んだアジロの圧痕が確認されている
  • 赤色スリップの不在:
    • 北硫黄島ではほぼ確認されず、マリアナでも紀元500年頃には消滅している

■ 4. マリアナ諸島の先史文化

  • 人類の到達時期:
    • マリアナ諸島には約3500年前(縄文時代後期相当)に人類が到達した
    • 東アジア島嶼部から来たオーストロネシア語族で、卓越した航海技術を持っていた
  • 先ラッテ期(初期文化):
    • マリアナ赤色土器が使用され、赤い化粧土が塗られ、切開を埋めた模様を持つものもあった
    • 貝殻製の腕輪やビーズなどの装飾品、骨や貝の釣り針などの実用的道具が製作された
  • ラッテ期(後期文化):
    • 紀元500年頃にラッテストーンという巨大な石柱建造物が出現した
    • 赤色土器は姿を消し、厚手で無文のマリアナ無文土器が主流となった
    • 貝の装飾品の種類が変化し、骨製の槍先や銛などの武器が出現した
    • 東南アジア島嶼部から新しい人の波が来た可能性が指摘されている
  • 北硫黄島の土器は先ラッテ期中期から後期の平底土器群に該当し、年代も一致する

■ 5. 土器の現地生産の証拠

  • W.R.ディキンソンによる胎土分析の結果、北硫黄島の土器に含まれる砂粒鉱物組成はマリアナ諸島の土器とは異なることが判明した
  • 北硫黄島の土器は北硫黄島やその周辺の火山性の砂に類似しており、現地生産されたことが強く示唆される
  • 分厚く大きな土器を約650km離れたマリアナから船で運搬することは非現実的である
  • マリアナから来た人々が北硫黄島で土器を製作していた可能性が非常に高い

■ 6. 沖縄起源説の再検証

  • 沖縄説の主な根拠であった積石遺構は、島崎らの研究によりマリアナ諸島にも存在することが判明した
  • 積石遺構の存在のみで沖縄と結びつけることは早計であった
  • 北硫黄島の積石遺構が墓であるかどうかも未確定である
  • シャコガイやサンゴはオセアニアの島々では一般的な素材である
  • 地理的にも沖縄よりマリアナ諸島の方が北硫黄島に近い
  • 土器がマリアナと酷似し、積石遺構もマリアナに存在することから、沖縄説の根拠は極めて薄い

■ 7. 北硫黄島遺跡の性格

  • 偶発的漂着説の否定:
    • 土器を現地で製作していることから、単なる偶発的漂着では説明困難である
    • 生存に精一杯の状況で手間のかかる土器製作を行うとは考えにくい
  • 定住または季節的キャンプ地説:
    • ある程度計画的に滞在していた可能性が高い
  • 海鳥捕獲目的説:
    • 17世紀のマリアナの記録では、先住民チャモロは優れた船乗りで、北端のファラリョン・デ・パハロス島を海鳥狩猟に利用していた
    • 明治時代の北硫黄島でも島民が鳥の羽毛を本土に送っていた記録がある
    • 石野遺跡からは多数の鳥骨が発見されている
    • 遺跡の場所は明治時代の最初の集落に近く、水源や渋川もあり比較的居住に適している
  • 積石遺構の建設には相当な人手が必要であり、ある程度の人数が滞在していたと推測される
  • 一時的に利用された後、何らかの理由で放棄された可能性がある

■ 8. 世界史的重要性

  • マリアナ北部の島々では現在のところ約500年前より古い遺跡が発見されていない
  • 北硫黄島に2000年前に人が来ていたならば、その途中のマリアナ北部の島々にも人類が到達していた可能性が高い
  • 北硫黄島遺跡はマリアナ北部への人類拡散時期を考える上で重要な証拠となる
  • 紀元前後はそれまで無人だったミクロネシア中部・東部の島々に人類が進出した大航海時代に相当する
  • 北硫黄島遺跡はオーストロネシア語族の拡散の最北端に位置する
  • 最近の古代DNA研究では、同時期にパラオ方面からマリアナへの人の移動があった可能性が指摘されている
  • 北硫黄島遺跡はオーストロネシア語族の拡散という世界史的出来事の中で重要な位置を占める
  • 正確な情報を国内外に発信すべき重要な遺跡であると評価されている

■ 9. 今後の課題

  • 土器以外の石器、骨角器、動物骨などの詳細な分析が必要である
  • これらの分析により、当時の生活様式やマリアナとの関係性がより明確になる可能性がある
  • 積石遺構の真の意味や機能は依然として謎のままである
  • 最終的には北硫黄島での再発掘調査が必要である
  • 調査の困難性:
    • 船の手配、上陸時には泳いで接岸する必要がある
    • 荷物の運搬も海上からとなる
    • 島内は急峻な崖だらけで、移動には山岳技術が必要である
    • 世界自然遺産のため、環境への最大限の配慮が求められる
  • 地元の小笠原村や東京都との協力が不可欠である