■ 1. ワームホールの概念と命名
- 1957年、物理学者ジョン・ホイラーがワームホールを提唱した
- チャールズ・マイスナーとの共同論文で3次元空間を2次元で表し、空間上の2点を3次元のチューブの穴で繋ぐアイデアを発表した
- りんごの比喩:
- りんごの表面に住む芋虫が表面を世界の全てだと思っている
- 反対側に行く時、表面を回り込むと時間がかかる
- りんごの中を食べ進めてトンネルを作ると、表面を回り込むよりも早く反対側に行ける
- この芋虫が作ったトンネルがチューブの穴であり、トンネルの入り口と出口が空間上の2点である
- ホイラーはこの例え話から虫食い穴の意味を持つワームホールと名付けた
- 遠く離れた空間同士を直接つなぎ、理論上は光よりも早く空間を移動できるワームホールは時空の虫である
■ 2. アインシュタイン・ローゼンの橋
- 1935年、アルベルト・アインシュタインとネイサン・ローゼンが研究を行った
- アインシュタイン方程式:
- 1915年から1916年にかけて発表した一般相対性理論で質量を持つ物体が引き起こす時空の歪みこそが重力の正体だとした
- 歪みを記述する方程式を打ち立てた
- これをアインシュタイン方程式または重力場方程式と言う
- シュヴァルツシルト解:
- 1916年、ドイツの物理学者カール・シュヴァルツシルトが第一次世界大戦に従軍中に解いた
- 球対称で回転もしておらず、周囲には物質もエネルギーもない真空の空間という条件において質量が非常に大きい物体が存在する場合、非常に大きい重力が発生し特殊な球形の領域ができることを示した
- 領域に近いところでは光すら重力に吸い寄せられ、領域の内側に入って抜け出せなくなることを意味していた
- シュヴァルツシルトはブラックホールの存在を数学的に証明した
- 球形領域の境界となる面を事象の地平面またはシュヴァルツシルト面と言う
- 特異点の問題:
- シュヴァルツシルト解が示す事象の地平面の内部には密度及び重力が無限大になる一点、特異点があるとされている
- これが一般的な物理法則を破綻させる厄介な存在でアインシュタインを悩ませていた
- アインシュタイン・ローゼンの橋:
- アインシュタインとローゼンはシュヴァルツシルト解を研究し、特異点を回避できる別の数学的構造を考えた
- 事象の地平面の内側と外側の2つの領域をつなげ、1つの構造にするアイデアを思いつき数学的に記述した
- 事象の地平面の外側にある宇宙とその宇宙にそっくりなもう1つの宇宙が橋のようなもので繋がっているという奇妙な時空構造が出てきた
- この橋のようなものをアインシュタイン・ローゼンの橋と言う
- ホイラーはこの研究報告に触発されてワームホールの研究を始めた
- アインシュタイン・ローゼンの橋の問題:
- 複数あるワームホールの形態のうち最も基本的なものである
- あまりにも不安定なため形成した直後に崩壊してしまう
■ 3. ブラックホールとホワイトホールの接続
- 1960年代の進展:
- ブラックホールの研究が飛躍的に進み、存在を示す証拠も次々と発見された
- 数学上の産物から実際に存在する天体となった
- ブラックホールを記述したシュヴァルツシルト解も改めて見直されるようになった
- ホワイトホールの理論:
- ブラックホールが吸い込んだ物質が別の空間にあるホワイトホールから吐き出される可能性が出てきた
- 一般相対性理論では時間を逆にしても物理法則は変わらない
- これを時間反転対称性と言う
- シュヴァルツシルト解にも時間反転対称性があり、何でも吸い込むブラックホールの存在を示すのと同時に、時間的にひっくり返した何でも吐き出すホワイトホールの存在も示していた
- ブラックホールとホワイトホールの接続:
- ブラックホールとホワイトホールが繋がっている場合、その抜け道的なものもワームホールと呼んでも良いことになった
- このワームホールはブラックホール側からホワイトホール側へ常に一方通行であり戻ることはできない
- 理論上は通り抜けできるとしてもやはり不安定ですぐに壊れてしまうと考えられている
- ワームホールを通り抜ける前、ブラックホールに吸い込まれた時点で人間は潮汐力で引き延ばされてスパゲッティ化し、素粒子レベルまでバラバラにされる
■ 4. ソーンの通過可能なワームホール理論
- 1988年、理論物理学者キップ・ソーンが通過可能なワームホールの研究を行った
- 研究のきっかけ:
- 数年前、天文学者でSF作家でもあるカール・セーガンから相談を受けた
- セーガンは「コンタクト」というSF小説を執筆しており、地球から遠く離れた星へ瞬時に移動することができる科学的に正しい方法を模索していた
- セーガンの原稿を読んだソーンはワームホールを助言し、自身もワームホールを維持し人間が問題なく通過できるための研究を始めた
- 負のエネルギー:
- 負のエネルギーを持つ物質が存在するならばアインシュタイン方程式の解として通過可能なワームホールが存在しうるとした
- 普通の物質や光は正のエネルギーないし質量を持っている
- 一般相対性理論において正のエネルギーは時空の収縮を引き起こし重力を生み出すが、負のエネルギーは時空の膨張を引き起こし反重力を生み出すとされる
- 宇宙を加速膨張させるダークエネルギーと似たようなものである
- 時空を押し広げようとする負のエネルギーでワームホールを補強すればワームホールが潰れることなく通過できる
- 負のエネルギーは以後のワームホール研究の基礎になった
- 負のエネルギーを持った物質のことを通常の物質とはかけ離れた風変わりで奇妙な物性を持つ物質という意味でエキゾチック物質と呼ぶことがある
- タイムトラベルの可能性:
- ソーンのワームホールはタイムトラベルを可能にするとされている
- 2025年現在、地球のそばにワームホールの出入り口が2つとも存在しているとする
- このうちの一方を光速に近い速さではるか彼方に移動させ、同じ速度で元の位置に戻すとする
- 地球や動かさない方の出入り口は10年が経過し2035年になっているのに対し、動かした方の出入り口は光速に近い速度で動くと時間がゆっくり進む浦島効果でわずか2年しか経っておらずまだ2027年である
- 2035年の出入り口に飛び込めば2027年の出入り口から飛び出すことになり、タイムトラベルができたことになる
- ワームホールが存在した時点より過去には行けない
- ソーンのワームホールの問題:
- ソーンの考えたワームホール自体実は不安定であることが数値計算から分かっている
- 普通の物質や光など正のエネルギーを持つものがワームホールを通過すると生じたエネルギーの揺らぎによってワームホールが潰れブラックホールに変化してしまう
- 理論上は通行可能であっても1度切りの一方通行になる
- 生じたエネルギーの揺らぎの分だけワームホールに補正を加えることができるなら相互通行できるということも数値計算から導かれている
- ソーンの映画への貢献:
- 研究の傍ら映画「インターステラー」の科学コンサルタントを務めた
- 映画に出てくる黒板の数式を自ら書いた
- ワームホールやブラックホールを映像化する手助けをした
■ 5. 2021年の二つの画期的研究
- ブラスケス・サルセドの研究:
- 2021年3月9日、スペインの物理学者ルイス・ブラスケス・サルセドの研究チームが論文を発表した
- 科学雑誌「フィジカル・レビュー・レターズ」に掲載された
- ワームホールはエキゾチック物質がなくても理論上は通過が許されることを示した
- 物質はフェルミ粒子と呼ばれる素粒子の集合であり、古典的な電磁場を介して相互作用するとした
- フェルミ粒子はスピンが半整数でパウリの排他原理が働く粒子であり、陽子や中性子、電子などである
- フェルミ粒子の質量と電荷を変化させることで通過可能なワームホールが実際に存在できるとした
- 問題点はサイズが微視的で量子レベルに非常に小さく、人間は愚かウイルスすら通り抜けられない
- しかしエキゾチック物質なしでワームホールが通過可能であることを数学的に示したのはとてつもない成果であった
- マルドルセナとミレキンの研究:
- 2021年3月9日、アルゼンチン生まれの理論物理学者フアン・マルドルセナと理論物理学者アレクセイ・ミレキンが論文を発表した
- 科学雑誌「フィジカル・レビューD」に掲載された
- ブレーン宇宙論を詳しく記述したモデルの1つであるランドール・サンドラムモデルを使うことで人間が安全にワームホール内部を通過できることを示した
- ブレーン宇宙論:
- 私たちの宇宙は縦横高さの3次元空間に時間を加えた4次元時空に見える
- しかし実際の宇宙は高次元や余剰次元が存在するかもしれない
- 私たちの4次元時空宇宙は高次元の空間に埋め込まれたブレーンのようなものだとする理論がある
- これをブレーン宇宙論またはブレーンワールドと言う
- ランドール・サンドラムモデルはアメリカの理論物理学者リサ・ランドールとインド生まれの素粒子物理学者ラマン・サンドラムが提案した
- 宇宙を5次元時空として記述し、私たちの4次元時空宇宙はこの5次元時空の中にあるとする宇宙モデルである
- マルドルセナとミレキンの研究結果:
- ワームホールを通過する人間はブラックホールに吸い込まれる時のように潮汐力の影響を受ける
- ワームホール内部の潮汐力があまりにも高いと人間はスパゲッティ化する恐れがあり超危険である
- ランドール・サンドラムモデルを基にワームホールを設定すると内部の潮汐加速度が人間が耐えうる1G未満である人間に優しいワームホールにおいて、通過する人間は1秒もかからずに宇宙のあらゆる場所へ移動可能であることが示された
- 1秒未満に感じるのはワームホールを通過している人間だけであり、外側の人間にとっては数千年に相当するとんでもない浦島効果が発生する
- ワームホールを通過している間に人類が滅亡している可能性がある
■ 6. 研究の意義
- 同じ日にそれぞれ権威ある雑誌に掲載された2つの研究によりワームホールが物理学の常識に反することなく存在し、かつその内部を人間が安全に通過できる可能性が示された
- ドラえもんのどこでもドアやドラゴンクエストの旅の扉が実現する日がほんの少しだけ近づいたかもしれない