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量子力学を「虚数なし」で書き直すことに成功──実数で綴る量子の世界

要約:

■ 1. 研究の概要

  • ドイツのハインリヒ・ハイネ大学デュッセルドルフ(HHU)とドイツ航空宇宙センター(DLR)の研究チームが、量子力学を虚数を一切使わず実数のみで記述することに成功
  • 実数版は複数粒子の量子もつれ実験を含む全ての量子実験において、従来の量子力学と同一の結果を予言する
  • 成果は2026年6月18日に『Physical Review Letters』誌に発表され、「編集部推薦論文」に選出

■ 2. 虚数と量子力学の歴史的関係

  • 従来の物理理論との違い:
    • ニュートン力学、マクスウェルの電磁気学、アインシュタインの相対性理論はいずれも実数のみで記述可能
    • 他の物理理論では虚数が計算の途中で登場しても最終的に実数に戻すことができた
    • 虚数はあくまでも計算上の「足場」であり、理論の完成後には取り外すことが可能であった
  • 量子力学における虚数の役割:
    • シュレーディンガー方程式には虚数単位 i が理論の骨格そのものに組み込まれている
    • 量子状態を表す複素振幅は「大きさ」と「位相」を持ち、これが複素数の「長さ」と「角度」に対応する
    • i を掛けると矢印が90度回転する——この性質が波の位相を記述するために不可欠とされた
    • 量子力学は物理学の歴史の中で唯一、虚数を「足場」ではなく「柱」として必要とした理論であった

■ 3. 虚数の数学的性質

  • 虚数の定義: i² = -1 となる数(実数の数直線上では存在できない)
  • 複素数の幾何学的理解:
    • 複素数を平面上の点や矢印として扱うことで、「方向」を示す成分として理解される
    • i を掛ける操作は原点を軸にして90度回転させる幾何学的操作に相当する
    • eⁱˣ = cos x + i sin x の関係により円を描くことができる
  • i の i 乗(iⁱ)は虚数を含まない実数 e^(-π/2) ≈ 0.20788... として現れる

■ 4. 「虚数は必須」とされた2021年の研究と実験

  • 2021年の理論的証明:
    • 実数のみで書いた量子力学では、複数粒子が離れた場所で関わり合うベル型実験を正しく再現できないことを理論的に示した
  • 2022年の実験的検証:
    • 中国を中心とする研究チームが光子ネットワークと超伝導量子ビットを用いて検証
    • 「自然が実数のみで動くなら結果A」「複素数が必要なら結果B」という形式で実験を設計し、結果はすべて「B」となった
    • これにより「虚数は量子力学に必須」という結論が世界中で広く受け入れられた
  • 見落とされた前提条件:
    • 2021年の研究は「テンソル積」と呼ばれる量子系を合体させるルールをそのまま前提に置いていた
    • テンソル積公理はあまりに標準的であるため、自然法則の一部のように受け取られていた
    • 証明したのは「その前提条件下では実数版が成立しない」ことであり、「実数では量子力学が書けないこと自体」の証明ではなかった

■ 5. ドイツ研究チームのアプローチと手法

  • 発想の転換:
    • 問題は「実数では書けない」ことではなく「前提ルールが実数版には厳しすぎた」ことではないかと仮説を立てた
    • テンソル積ルールを前提に押しつけず、物理的原理から出発した
  • 採用した物理的原理:
    • 「離れた場所にあるAだけを操作した場合、遠くのBを直接書き換えてはならない」という局所性の原理
    • この原理はAとBの量子もつれを否定するものではなく、直接的な書き換えを禁じるもの
  • 実数化の技術的手法:
    • 「札(フラグ)」システム: 各量子に実数部分と虚数部分を別々に記録する二つの目盛りを持つ札を付与
    • i を掛けて90度回転させる操作は、札の二つの数値を入れ替えて符号を反転させることで再現
    • 「商空間(quotient space)」の利用: 同じ物理状態を表す異なる表記をグループとして束ねて一つの状態として扱う
  • 達成された結果:
    • 複素数版と実数版のあいだに完全な一対一の翻訳辞書が完成
    • 両版は全ての標準的な量子実験において同一の確率を予測
    • かつて実数版を否定した実験すら、新しい実数版は正確に再現する

■ 6. 研究の哲学的・理論的含意

  • 虚数の位置づけの変化:
    • 「虚数は量子力学に欠かせない必須部品」という主張の根拠が明確に弱まった
    • ただし「世界は実数のみで構成されている」と断言することもできない
  • 観測による判別不可能性:
    • 複素数版と実数版はあらゆる観測実験で同一の答えを返すため、測定だけではどちらが「世界の正体」かを判別できない
    • これは同じ場所を緯度・経度で表すか、駅からの相対距離で表すかの違いに相当する
  • 問いの深化:
    • 「虚数と実数のどちらが本物か」という問いから「量子世界の本体は特定の数式なのか、それともどの数式でも消えない構造なのか」という深い問いへと転換した

■ 7. 未解決の課題と関連研究

  • 未解決の課題:
    • 光子・電子のように原理的に区別できない粒子の集団への適用方法が未確定
    • 追加の仮定に頼らず純粋に物理的原理のみから実数版理論を導けるかどうかが今後の課題
  • 関連研究:
    • フランスInria等の研究者(ホフレウモン氏とウッズ氏)が別の道筋から同一の結論に到達(arXiv:2504.02808)
    • 「局所性を前提にするなら複素数は必要だ」と逆向きに論じる研究も同時期に発表(arXiv:2504.07808)
    • この問いをめぐる議論は世界中で現在も再燃中