■ 1. 研究概要
- 北海道大学の目戸綾乃氏(研究当時は京都大学)と京都大学の佐藤拓哉氏の研究チームが、寄生虫ハリガネムシが宿主の行動を操作することで、森から川へオメガ3脂肪酸であるEPAをもたらすことを発見した
- 研究成果は学術誌「PNAS Nexus」に論文として発表された
- 生態系における寄生虫の新たな役割を見出すとともに、生態系をつなぐ栄養循環の理解を広げる成果である
■ 2. 背景:EPAの輸送経路に関する定説
- DHAやEPAといった長鎖オメガ3脂肪酸は動物の脳や視神経の発達に重要な役割を持つとされる
- 餌から摂取するDHAやEPAの量が増えると、魚類や鳥類の生存や成長、繁殖に好影響があることが知られている
- EPAは主に珪藻やクリプト藻といった水域の一次生産者によって作られ、陸上でEPAを作ることのできる植物はほとんど知られていない
- このため、脂肪酸研究の世界ではEPAの主要な輸送経路は水域から陸域への一方向であるというのが定説であった
- 川や湖でEPAを豊富に含む藻類を食べて育った水生昆虫が、成虫になって陸へ飛び立ち、鳥やクモなどの森の動物に食べられることで水中のEPAが陸域生態系へ届けられる経路が知られている
- 一方、温帯の川では春先に水生昆虫の多くが羽化して森へ出た後、夏から秋にかけては水生昆虫が少なくなる
- この時期には森で育まれた昆虫が川に落ち、魚のエネルギー源になることが知られている
- 森の昆虫が陸域から水域生態系へEPAを届ける経路になっている可能性が問われていた
■ 3. 研究の着想:ハリガネムシとカマドウマ
- 研究チームは川で魚の調査をしながら、寄生虫ハリガネムシ類に行動操作され夏から秋にかけて川に大量に飛び込むカマドウマがEPAを持っていれば、陸域から水域生態系へEPAを届ける経路になり得るという着想を得た
- ハリガネムシとカマドウマの関係は以下の通りである
- 水中で孵化したハリガネムシは水生昆虫の幼虫に寄生してシスト(休眠状態の幼生)になる
- 水生昆虫の羽化とともに川から森へ移動する
- 水生昆虫の成虫が森でカマドウマ等に捕食されると、その体内でハリガネムシが成長し成虫になる
- 最後にハリガネムシは寄生していたカマドウマの行動を操作して川に飛び込ませ、お腹から脱出して繁殖し生涯を終える
- 奈良県のある川では、川面に乗り捨てられたカマドウマがイワナの年間のエネルギー消費量の60%を占めることが分かっていた
- カマドウマが水生昆虫を食べることは、ハリガネムシの感染だけでなく、水生昆虫が藻類から蓄えたEPAの摂取にもつながるはずであるという仮説が生まれた
■ 4. カマドウマのEPA測定
- 仮説を検証するため、イワナがハリガネムシに感染したカマドウマを多く食べていた調査河川でカマドウマを捕獲し、化学的処理を施してEPA含量を測定した
- 単位体重当たりのEPA含量は、カマドウマは水生昆虫と比べて少ないことがわかった
- 例としてヨコエビ目は体重1gあたり2.36mg、カマドウマは約1.35mgであった
- カマドウマは水生昆虫と比べて1匹当たりの重量が20~74倍と大きい
- このため1匹あたりのEPA含量は水生昆虫の約4~17倍であった
- イワナなどのサケ科魚類は餌を丸ごと飲み込んで食べるため、1匹あたりのEPA量が多いカマドウマを食べることで水生昆虫を食べる場合よりも多くのEPAを摂取できると考えられる
■ 5. イワナへのEPA供給の検証
- 同じ川で過去に取られたイワナの胃内容物データを用いて、イワナが水生昆虫とカマドウマそれぞれから川の面積当たり、一日当たりに摂取したEPA量を推定した
- 推定の結果は以下の通りである
- 8月にはカマドウマから水生昆虫と比較して1.6~2.1倍多くのEPAを得ていた
- 10月にはカマドウマから水生昆虫と比較して24.3~60.9倍多くのEPAを得ていた
- ハリガネムシによるカマドウマの行動操作は、森から川へのエネルギー流だけでなく、栄養素となる脂肪酸の流れも駆動していたことが示された
■ 6. 今後の課題
- 本研究は、EPAの主要な輸送経路は水域から陸域への一方向であるという定説を覆し、季節的に陸域から水域生態系の魚類へ大量のEPAを届ける経路が存在することを世界で初めて示した
- 一方、イワナがカマドウマから得たEPAが実際にどの生態系に由来するのかは今回の研究ではわかっていない
- 執筆当初は、カマドウマの高いEPA含量はハリガネムシに感染する経路であるEPA含量の高い水生昆虫を多く食べることに起因すると考えられていた
- しかし文献精査の中で、近年EPAを自身の体内で合成する土壌動物が発見され始めていることが判明した
- このため、カマドウマがEPAを合成する土壌動物を食べている可能性や、カマドウマ自身がEPAを合成する能力を持っている可能性も否定できない
- 今後の研究で、カマドウマを始めとする陸生昆虫が自分自身でEPAを合成しているのか、どの生態系の誰に由来するEPAを得ているのかを明らかにすることが期待される
- この経路の先にはサケ科魚類を食べる人類も存在する
- ハリガネムシ類が宿主の行動操作を介して駆動する森から川へのEPA輸送経路の発見は、生態系における寄生虫の新たな役割を見出すとともに、生態系をつなぐ栄養循環の理解を大きく広げるものである