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6年くらい前の話だけど、某学校の校内研修で発達障害のある子どもへの支援とか配慮について説明をしたら...

6年くらい前の話だけど、某学校の校内研修で発達障害のある子どもへの支援とか配慮について説明をしたら、質疑応答の時に教員の一人から「なぜお前は我々に配慮とか支援ばかり求めて、その子の発達障害を治すための研究をしないのか」と言われて憤慨したことがあった。

@tep_kikuchi

要するに「発達障害を治してくれれば我々はそんな負担を強いられないのに」という論調で、「国立大学で発達障害を研究してるのならキチンと研究して現場に負担を持ち込むな」みたいな話だった。呆れてものが言えなかった。

@tep_kikuchi

それ以来、現場にもそういう考えを持っている人がけっこういるのでは、と疑っている。厄介なことに、そうした考え方のヤバさに本人は気づきにくい。

@tep_kikuchi

なぜこの話を思い出したかというと、コグトレが発達障害とか知的障害の子ども自身の力を改善させることにばかり焦点を当てて、「コグトレで力を伸ばせば大丈夫(つまり支援や配慮は要らなくなる)」という考え方に繋がるのを危惧してるから。

@tep_kikuchi

とはいえ、「その障害、治せないの?」という観点は必要だろ。

障害をあるがままに受容していく姿勢と障害自体を克服する姿勢は両立すると思うのだが。