この辺、先鋭化してしまった人権界隈の方々とかも全部同じに見えてて、ほんとうにやるせないんだよな。
「そういう時代があったからってお前が今メチャクチャにヘイトやデマをまき散らしていい理由にはならない」んだけど、「そういう時代に形成されてしまった思想をどこで弔ってやればいいのか」。
当時近藤氏に人格攻撃をしていた世代はもうとっくに引退し、狂った彼は結局報われず死んだ。
彼に狂わされた人が次の世代に狂気をバラまかないためにはどんな社会であればいいというのか。
これはもうどうしようもないことなんだけど、人の気持ちにタイムスタンプや有効期限はないんだよな。
「10年前に本当に起きたこと」は「今まさに起きていること」ではないんだけど、「10年前に本当に起きたことを伝聞して今不幸になった自分」は「今まさに起きていること」だしな。
残酷なようだけど、仏教などで言う「囚われ」や「執着」みたいなもので現し世を生きる者には如何ともし難いものではないだろうか。
人間は無傷では生きていけないのだ。