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「自業自得」匂わせる一部メディアの異常な発信 安倍元首相暗殺から1カ月以上、誰が被害者で誰が加害者なのか...

民主主義の危機である。

安倍氏は暗殺された。民主主義の根幹である選挙中、首相まで務めた政治家が突然殺害されたのだ。民主主義の原点は選挙である。選挙を否定する民主主義などあり得ない。政治家が自ら信じ、目指すべきことを国民に説得する。大衆の中に入り火の玉になって、自らの思うところを説く。

「聴衆を決して侮ってはならない」

それが田中角栄元首相の教えだった。大衆を説得できない政治家など、民主主義社会において不要である。

世界各国からは、安倍氏が果たした役割、目指した理念について、称賛の声が寄せられた。外交、安全保障、国家観…。過去のいかなる首相と比べても偉大であるとしか表せない。世界的規模で眺めれば、これほど日本の国益、自由民主主義社会の擁護のために闘った政治家はいない。

だが、一部メディアやネットは、おかしな方向に世論を誘導しようとしていないか。

安倍氏は暗殺された。理不尽な事件の被害者は安倍氏であり、加害者は犯人である。この事実は、何があっても揺るがない。

ところが、一部メディアなどの発信を眺めていると、奇妙な感覚にとらわれる。まるで、「安倍氏にも問題があった」「本当の被害者は犯人ではないのか」と匂わせるような報道・言説が流れている。倒錯している。異常な光景だ。

これを放置すれば、「殺されても仕方なかったね。あの人も悪いのだから」という狂気じみた論理がまかり通る。政治家は暗殺を恐れ、大衆の前で自らの主張を展開できなくなる。これこそ、民主主義の否定である。

われわれが為すべきは、民主主義を守り抜くことである。そうした常識も覚悟も持たない者は恥を知れ。難しいことを言いたいわけではない。誰が加害者で、誰が被害者かを、もう一度、冷静に考え直すべきだ。

詭弁(きべん)を弄して、「安倍氏さえ批判すればいい」「自民党を批判できるなら何をしても構わない」といった論理に、一部メディアは立っていないか。

民主主義の根幹である選挙を冒瀆(ぼうとく)した犯人こそが非難されるべきだ。