少し前だったか。
萌え絵の炎上により自主規制が強化された結果、職を失った女性絵師さんがいた。コンビニのアルバイトで何とか食いつなぐと言っていたが、夢を絶たれたそうだ。
とある有名なジェンダークレーマーは
「それは世の中の進歩のためだから、仕方がない」
と、平然と言い放った。
これは非常に恐ろしい考え方だ。かのハインリヒ・ヒムラーも
「人類の進歩のためにはホロコーストもやむを得ない」
と、言っていた。
つまりこういうことだろうか。
フェミニズムもどきの理想?の実現のためなら、絵師さんが織を失い貧困で文字通り餓死しても、仕方がない。いや喜ばしいことだと。
例えば、テロリストがそれ以外に食う方法を知らない貧民でテロリストを規制・弾圧することが彼・彼女の死に直結するとしても、社会はそれを是認するだろう。
つまり、社会的な善悪の規定は間接的な殺人を黙認・是認する影響力がある。
では、萌え絵はそうなるべき悪徳なのか。その規制を推進する人間はそれを判断できるだけの公平な観点を持ち合わせているのか? という点が重要になる。
それがあまりにも浅慮かつ独善的な観点で行われているなら、それは社会にとって害悪でしかないのだが。