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そしてみんな広告になった

批判や論争が文芸媒体から姿を消しつつあると危惧されたのも昔の話、もはや文芸批評自体が消滅しそうな勢いだ。入れ替わりに、書評家が文芸誌の一角を占めるようになった。文芸批評家と書評家は似て非なる職能で、後者はおおむね作品の美点を読者に伝えることを職業的使命の第一と任じている。貶さず、褒める。

書評はその成り立ちから広告的性格を備えたものではあるが、昨今は褒め書評しか存在を許されなくなっている。新聞雑誌の書評依頼に「批判的になっちゃうと思いますが」と応えて話が立ち消えにならなかった経験はないし、批判的書評を書いたらボツにされたという話もよく聞く。

こうなると、出版という制度が広告的であれと抑圧している状況でしかなく、書評家・批評家が仕事を続けようと思うなら、褒めに徹するのが唯一の正解とならざるをえない。文芸誌に載る書評・批評はいまやネイティブアド*1と区別がつかない。

やはりマサカリを投げ合う場は必要なのだ。