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もうずっと昔、ネットで「歌い手」とか「絵師」とか創作人が持ち上げられるようになった頃「俺は何も作れない...

もうずっと昔、ネットで「歌い手」とか「絵師」とか創作人が持ち上げられるようになった頃「俺は何も作れない‥『無産オタク』なんや‥‥」みたいにくたびれる人が出てきて

そこに「分かり手」という「良いものの良さがめちゃ分かる人」みたいな概念の言葉を作った人がいて、すげーと思った でも(続く

@nijieith

今やTwitterはバキバキの「わかり手」たちが常に解釈バトルの火花を散らす戦場と化してて「ただ作品を消化するだけのことですら俺は他の人に敵わないんや‥‥」みたいにくたびれてる人がいっぱいいる

@nijieith

ある人がどのくらい自分のオタク趣味に自尊心の重きを置いてるかって人それぞれだから「もっと気楽に行こうよ〜」みたいなことも安易に言うわけにはいかないし、なんなんだろうこの微妙な気持ち

@nijieith

愛さえあれば十分なはずの推し活ですら、SNSでは金や情熱の掛け方が桁違いの人たちがバズって、「この人の愛に比べたら俺なんか・・・」みたいにくたびれてる人が増えてるように見える

どうしたらいいんや

@nijieith

昔こんな言葉があったんですよってニュアンスで引用しただけで、『無産オタク』なんて表現は自分に対しても他人に対しても使ってはいけませんよ

@nijieith

結局、他人に認められたい・自分が「上」のポジションであると認識したいという虚栄心やマウント欲求だけで生きているという悲しい話である。

他人の目や評価を気にすることなく自分の好きなことに邁進する才能に恵まれなかった者の人生は惨めである。