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「colaboに連帯します」というハッシュタグは悪手すぎると思う

https://twitter.com/search?q=%23colabo%E3%81%AB%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99

申し訳ないけれどやってることが安倍元首相の信者と同じレベルに見えてしまう。

安倍信者:①安倍批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②安倍の功績部分だけを強調し ③批判する奴は悪魔化して無視する。

Colaboに連帯しますタグ参加者:①Colabo批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②Colaboの功績部分だけを強調し ③Colabo批判する奴は悪魔化して無視する。

こんなずさんな擁護が通用するのってネットリテラシーがない人たちだけだってのが君たちの主張じゃなかったのか。

「あなたたち安倍政権を批判しまくってたくせに、自分たちが批判にさらされたら安倍信者と同じことやるのか」と思っちゃったよ…。

■Colaboに連帯しますというタグで発言している人は、本当は仁藤さんのことを信じていないのでは?

どうして仁藤さん自身は黙ってるのに、仁藤さんの周りの人たちは批判されたときに「批判されても私たちは何も間違ったことは行ってないんだから立ち向かうべきだ」という姿勢が取れないんだろう。

それに「間違ったことが部分的にあってもそこは受け止めて正せばよし信頼されるだろう」ってなんで思えないんだろう。

どうして「批判すること自体許せない」になるんだろう。

規模は全然違うにせよ、TwitterとかMetaだって社会的に間違ってるわけじゃないけど急速に拡大しすぎて組織がおかしくなったからリストラするって最近発表してるじゃん。 

Colaboだって全体として正しいことしてても間違うことだってあり得るじゃん。

むしろ走りながら一生懸命活動してるんだからいろいろ不備があったりしても全然おかしくないじゃん。

なんでそういう時に間違いがある可能性すら認めないんだろう。

そんな態度とられたら、「間違いがあっても一切認めない。正せないのではないか」って思っちゃうじゃん。

■安倍元首相応援団と「Colaboに連帯します」活動やってる人の違いは政権側かそうでないかの違いしかない。人としての振る舞いはどっちもダメ

私が信じてる人が同じ立場になったら私は絶対に菱山さんみたいな態度はとりません。

「監査が入るみたいなので見守ります。問題点がないと信じていますし、仮に問題点があっても彼女ならそれを正せると信じていますし、必要があれば手助けします」とか言うんじゃないか。

どうしてこれではいけないのか。

この人たちは、正しさとかよりもメンツとかそういうのを大事にしてる気がします。

「社会的正義を実践するものはわずかな誤りも許されない」というのは全くもって現実的ではない。

■昔から本当に疑問なんだけど、なんで左派の担ぐ神輿ってこんなのばっかりなんだ。

「行動すること」自体は尊いのは確かなので、あとはトライアンドエラーが大事だと思う。

ここで一度も間違ってはいけないとか、間違いを指摘されただけで仲間内からすぐ袋叩きにあうみたいな土壌なら、まともな人が育つわけないじゃん。

左翼陣営にとって一番大事なのが「絶対に間違いを認めないこと」になってる現状本当にやばいって早く気づけ。

発端の暇な空白さんは「温泉むすめ」を燃やそうとしたからという行動で行動されてるみたいですが、私はちょっと違ってて。

とにかくこの左派の方々の「自分たちは敵対勢力をぼろっかすに言うくせに、自分たちの落ち度は指摘すら許せない」という態度が嫌すぎます。 

たとえ行動が正しかろうが、じぶんがやってることに一切の批判を許さないという態度の人なら個人レベルで活動をするにとどめるべきです。

そういう意味で仁藤さんも菱山さんも全く支持できません。

石川さんは事実上一線から退いた後、結構聡明な発言が増えてきました。

おそらく、左翼の運動そのものがリーダーに「絶対に謝るな」だとか「絶対に誤りを認めるな」とプレッシャーをかける構造になってるのじゃないですか。