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ジャーナリストが重要と考えていること・各国比較

https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434

https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592

WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。

■わたしが注目していただきたかったこと

https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium

あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitterに投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。

「事実をありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけであること、「客観的な観察者であること」をきわめて重要/とても重要な役割とする回答が少ないこと

この点はあとで少し詳しく書きます。

「政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムのきわめて重要/とても重要な役割という回答が比較国中で異様に突出していること

「いま国民的議論の対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査をざっと見たところ、日本と韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本のマスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます。

萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本のマスメディアは、社会主義的な思想をベースに、自分たちの役割を

「より良い社会の建設のために世論を醸成し牽引する」

と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治が政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府反権力的な言論を展開しましたが、政府が世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見を封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。

アジェンダ設定のような能動的行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズムの重要な役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要度認識が低いのはそのためです。

「人々が意見を表明できるようにする」をきわめて重要/とても重要な役割とする回答が少ない

この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちのメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます。世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。

「政治リーダーの監視と精査」 「時事問題の分析の提供」 「人々の政治的決定に必要な情報の提供」については、それらへの重要度認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実をありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます。

特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たちの重要な仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。

■たくさんのご意見に対して

全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます。

日本だけ異様というのはおかしい。各国それぞれなのでは?

はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズムの歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、

  • 客観報道中心で市民の自律を期待し支援する意識の強い大陸欧州(その中にも歴史的背景を反映した微妙な違いがある)
  • 欧州の客観報道主義を継承しつつも、ベトナム戦争前後に政治への影響力を経験して啓蒙に舵を切った米国
  • 明治期以来の「社会主義的な動機を持ちつつ自ら率先して世論を形成し、その世論に合致するかどうかの観点で政府を監視する」の歴史に、戦後米国ジャーナリズムの流れが混じって今に至る日本
  • 中露はまた別

という感じでしょうか。

それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実をありのままに伝える」トップにならない』の異常性です。

この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。

いわば、「あなたはジャーナリストとして最も基本的な動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。

無理やり喩えて言えばこの項目は、プロスポーツ選手に

「あなたにとって『勝つこと』は重要ですか?」

と問うような質問なのです。

「勝つことだけが重要ではない」「ほかにも大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。

まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実をありのままに伝えることはジャーナリズムがジャーナリズムであるための最も重要な要件」と学びます。

別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います。

たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズムの学科はジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現は客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。

そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想的政治的干渉を受けたとしても「事実をありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要な仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。

「日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないから・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダーを監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮は必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本のジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。

そういう思いから、日本のジャーナリズムを「異様」と書きました。

残り35%は「事実かどうかはどうでもいい」「嘘を書いてもいい」と思っているんだな

それは情報の誤読です。「事実をありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。

・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。

日本のジャーナリストの65%が「事実をありのままに伝えるのは重要」と考えているなんて嘘っぱちだ。実際はもっと低いだろう》

それは情報の誤読です。この調査は「あなたは事実をありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。

米国の98%はただの厚顔無恥な嘘吐き

欧米のジャーナリズムだってそんなに言うほど事実をありのままに伝えてなんかいないぞ

さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習もサボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習をサボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。

フェイクニュースは日本よりも米国のほうが酷い

これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本のジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます。

読者・視聴者の側の問題もあるのではないか

現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。

マスコミは左翼のすくつ

マスコミはネトウヨの手先

マスコミは政府のイヌ

マスコミは中韓の下僕

マスコミは米帝の下僕

ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います。

これらの評価(罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論を喚起し政策アジェンダを設定していく役割、もっとあからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割をジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズムは本来そのようなものではありません。「事実をありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価の対象になること自体がもっと減るだろうと考えています。

日本のジャーナリストが「報道の自由度が低い」と言っているのと今回の表を見比べると興味深い

私もそう思います。世界の一般的なジャーナリストにとって「報道の自由度が低い」とは「事実をありのままに伝えることや自由な表現を阻まれる」を意味します。日本のジャーナリストは世界の一般的なジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成を重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論が形成されなかったりするのを「報道の自由度の低さ」と勘違いしていると思います。

日本のジャーナリズムは他国と異なり政治的中立性を求められているしその評価も高いから一概に日本のジャーナリズムが異質・粗悪というのはいかがなものか

これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実をありのままに伝える」というジャーナリズムというものの普遍的な存在意義にかかわる話は、法律等の要請やメディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本のマスメディアがよくやる両論併記は政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います。