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Colabo騒動は「共感至上主義」の限界である

Colaboは活動の中身の妥当性や合法性、整合性といったロジカルな点よりも「共感」を大事にしていた。

「私達が良いと思ったんだから良いの!」で突き進んでいた。

共感が何よりも大事で後は四の次以下と言う、最近のフェミ界隈でありがちな考え方である。

これは問題を起こすまでは強いバイタリティを持つ。だからColaboは億を超えるお金を動かせた。

しかし問題を起こしたら途端にフリーズする。

それまでの活動の裏返しである非難の応酬を受けて自分達の活動の源泉である「共感」を否定されたことになるが、じゃあどう考えなおせばよいのかという解を持たないからだ。

動き出すことはあっても「リーガルハラスメント」などの意味不明なロジックを探し当てることが精いっぱいだ。

ロジカルに生きよう。