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若い頃はエロイラストに寛容(気にしていない)だったけど、歳を取って感覚が..

若い頃はエロイラストに寛容(気にしていない)だったけど、歳を取って感覚が変わる理由。

自分がそうなので。個人の意見です。

若気なので経験も少なく、判断を外に求めてしまう。そこで自分の商品価値を判断してしまう。

セクハラなどに対してもその感覚で、文句も言えず、後で恥ずかしく悔しい思いをする。

(セクハラと関係ないだろうと思うかもしれないが、加害者被害者共にハードルが低くなっていると事故る。あとで悔やむのは被害者)

特に未熟な人にとって、自己投影しやすい同年代の画には影響を受けやすいと思う。

(もちろん過去の自分が未熟だっただけで、気にし過ぎという意見もあるだろう)

社会が全て無菌室はよくないけど、公共に近いところは建前を気にしてほしいという思いです。

結果的にOKとなったものに、異を唱えるのも有り。異に異を唱えるのも有り。

ここではババア乙とか馬鹿なお前だけのお気持ちだろとか言われるのが関の山なんだろうね…

追記:

若者に何かを押し付けるつもりはなくて、大人側に公共に近い場での広告を配慮してほしい、性役割的なハードルを下げないでほしいと思っただけでした。

個人的な経験は自分の反省点として子供にそれとなく伝えようと思います。どう受け取るかは子供次第というのも理解しています。自分が幼く未熟だったのを他人もそうだと思っているわけではありません。

規則として許容され、チェックを通った広告に不快感を表して失礼しました。

何かを押し付けるつもりはないと言い訳しつつ、「配慮してほしい」「性的役割なハードルを下げないてほしい」と要求する厚顔無恥さ。

反論されたら小学生のような不貞腐れ方で捨て台詞を吐いて去っていく醜悪な幼稚さ。

自分達の属性は配慮されて当たり前であるという奢った価値観。

女をやっているな、という感がある。

男とて創作物で描かれた世界に憧れて危険な行動を自発的に選ぶこともあるし、その結果痛い目を見ることもある。

しかし、それで「あの創作物は危険だ!」と騒ぐ者はいない。

それは男は自分の人生の選択は自己責任でしかない事を承知しているからである。

「創作物は配慮してほしい」という論は結局のところ、「私は自分の選択に責任を持てない白痴です」という表明に他ならない。