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Colabo問題や貧困ビジネスの本当の罪|福祉関係者が黙るワケ

インターネット上でColaboの詐病の指南を叩いている層を見ると、日々、生活保護受給者や障害者と接している福祉関係者はほとんど見かけない。それは、特に新型コロナ禍で強まった生活保護の水際対策や介護・福祉サービス時間を確保するために、大なり小なり、福祉現場の人間は苦肉の策として使っている「手」だからだ。

社会的弱者を助けたいというボランティアたちの思いが根底にあり、様々な制度ができた。だが、少子高齢化や日本経済の低迷により、生活保護は受けにくくなる一方。新型コロナ禍で倒産や失業が増えた今、社会保障を必要とする人は増えている。加えて、国が定めたサービス提供時間では家族で介護を賄いきれないという現状がある。

そういった背景から、行政も含め、現場でサービスを支える人たちは、苦肉の策として、必要なサービス提供時間の確保や生活保護を受給しやすくする目的で、詐病や嘘の言い訳を指南しているケースがある。そういったグレーな部分がないと、救われない社会的弱者が存在するからだ。

今後、生活保護受給や介護・福祉サービスの受給について、グレーな部分がなくなり、より審査が厳しくなることが予想される。とりこぼされる社会的弱者のために残されていた社会福祉制度のグレーな部分がなくなれば、困るのは、生活困窮者や障害者、高齢者やそれを支える家族たちだ。そして、Colabo自身が手を差し伸べていた、虐待やネグレクトにより、行き場のない少女たちなのだ。

役所においてグレーな運用が暗黙的に許容されていることは実務家目線で見ればある程度の必要性は理解できる。

なので、グレーな運用を残すのは別に構わないと思う。

しかし、その場合、野放図なグレーゾーン運用が横行するのでは秩序も何もあったものではない。

グレーゾーン運用をする場合は必ずその判断をした理由に対する説明責任を果たせるようにして欲しい。

緊急性の観点、公益性の観点、職員の個人的感情など何でもいいので、それは記録に残し、適宜確認できるようにしておくべき。

その判断の積み重ねがルールの適切な変更へ繋がる材料にもなるだろう。

少なくとも感情的に被害者面をしたり、隠蔽したりするのは論外だろう。