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「勤勉な日本人」誕生の瞬間を見た気がした

ある催しで、子供が担任から褒められた。

「サボることなく自分の受け持ちを最後までやり通した」と。

帰宅後、俺も子供をよくやったと褒めたが、子供の顔色はいまひとつ良くない。

理由を聞いてみると、

「自分の受け持ちの作業は最初の半分の時間で終わっていた。サボってると怒られてる子はさっさと終わらせて遊んでただけ。怒られたくない子は自分みたいに何度も同じ作業をダラダラ繰り返してるんだよ」

俺は面食らって、先生に『終わりました』と言えばいいんじゃないかと訊いたら、

「そしたら他の人の手伝いとか、関係ない掃除とかやらされる。それをやるくらいなら最初の自分の仕事をずっとやってた方がマシだ」

日本人が勤勉だとか真面目だとかいう話も、案外こういうところが源流なのかも知れない。

「勤勉な日本人」誕生の瞬間を見た気がした

早く終わらせてもどうせ別の雑用を振られるだけ、だからわざとのんびりやった方がマシ、

というのはすごく心当たりがある。

日本は成功した社会主義国家だと昔誰かが言ってたが、果たして成功したのかすらよくわからない。

早く終わらせてもどうせ別の雑用を振られるだけ、だからわざとのんびりや..

この問題のダメなところは、子どもたちの中でさらに全体を統括するリーダーや監督を置かなかったこと、あるいは、そういう役割が自主的に生まれなかったことかな。

自分の仕事が終わったら次の仕事を回されるのは、先生の中でも子どもたちの中でも「仕事をすること」が目的になっていて、「仕事を終わらすこと」が目的になっていないから。

誰かが監督になって、今どのくらい仕事完了まで近付いているのか、もっと人員がほしいところはどこか、をマネジメントすれば・・・って、日本人の生産性の無さはここにヒントがあるのかもしれない。

この問題のダメなところは、子どもたちの中でさらに全体を統括するリーダ..

人材を差配できる人物を置く、という観点は局所的には正しいと思うけど、根本問題は自分たちの仕事として認識できないからだろう。

何しろ自分たちが運営してるわけじゃなく、自分たちがやらなくても学校は整備されるという意識がどこかである。

実際はそんなことをやれば経費がかかるんだけど、子どもたちにそんなことを言っても扶養されているので体感できない。

もう一つは褒章がないということ。自分たちがやった結果リターンがもたらされるというビジョンがない。

全体主義は強要するけど個別のリターンはなく、みんなやってるんだから我慢しろという一手。この病理は企業でもサビ残として伝統的に残存している。

その割に面接では個性と元気の良さが大事という矛盾した要求をぶちかます。もちろん入社後は恭順を要求されるのだから始末に終えない。

元増田の子は建前と本音を使い分けてる器用な子供で、今後も日本という病巣に馴染んでゆくだろう。彼の人生の安全という意味では何も問題ない。

多分サビ残と一緒。報酬や未来像がなくやらされるから嫌なだけ