元外務省の東郷和彦氏が「和平のためには、ウクライナの領土をある程度お土産としてプーチンにあげないと」と言って批判された。
「勝利ではなく和平を」という主張は、結局そういうことになる。
自覚した上で主張するなら良いが、自覚なく「和平」という言葉のきれいなイメージだけで語るのはまずい
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ウクライナの勝利を願うというのは理屈としては一貫している。
一方「勝利ではなく和平を」という主張は、要は「戦闘の犠牲を止めるため、相当の領土をロシアに譲って早期停戦を」ということだろう。
賛否以前に、まず正直かつ具体的にそう主張すれば良いだけである。
しゃもじ云々はどうでも良い
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「和平」を求めること自体がいけないのではない。
「和平を求めること」=「ロシアが侵攻占領した領土をロシアに与えること」という具体的な意味から眼をそらして、「和平」という抽象的な言葉のきれいなイメージだけでごまかそうとするのがいけないのである。