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はあちゅう氏は倫理観が他人の真似だからあの謝罪になる

人として備わってる筈の、倫理観ってものが他人の真似だから、今回の反応になるように思う。

ちょっと発達障害もちの人間との親和性が高いので、書いていく。

(はあちゅう氏が発達障害もちだと断定している訳でもなく、単純に共通点として読んで欲しい)

それと私はASDとADHD混合型。記憶領域に問題があり、物事の流れを組立てたり、順序立てて説明出来ないので

読みにくいかも。申し訳ない。

前提としてアスペルガーは、健常者と違って倫理観が身に付きにくい。

健常者ならば倫理観と心情が結び付きやすいのだろうけど、そもそも感じ方が違うアスペルガーである。

子供のころから「なんで友達と一緒のことが出来ないんだ」と言われているので、人から”怒られた”ことを

基準に”他人はこういう事で悲しいと感じたり嫌だと思う”と経験している。

それと自分には関わりあいがない事でも、周りの人間が怒ってたりすることを、”いけないこと”と判断する。

なので繰り返し他人から、怒られ、不快を訴えられるため、自分の感情を基準にはせず、”他人の倫理観”を基準に

物事を判断するくせがつく。健常者と違い、子供のころから自分のやることの大半が、”おかしい”と指摘され続ける。

正直人格否定に等しいことを常に要求されるので、かなり苦痛だ。

自分が好ましいとか、必要に思っている人以外の苦言を聞く”余裕”がない。

なので指摘してくる対象者が、自分にとって有益な人間かどうかで選別するようになってくる。

たとえば会社で自由気ままに振舞える人間をみつけて、その人がなぜ自由でいられるのか処世術を習得するのに近づく。

”社会的立場”があり、”周囲から認められている人間”の発言を、鵜吞みにする。

”成功”していて”周囲に人が必ず集まっている”ことが判断基準だ。

個人には興味がないが、コミュニティには憧れがあり、所属していることに執着する人が多い。

なぜかというとコミュニティに所属したいタイプのアスペルガーは、つまはじきにされることにトラウマがあり

自分のまわりに人を集めるために、地位を獲得したり、場を作ったりして他人の注意を惹こうとすることで

自尊心を満たそうとするからだ。

前提として”一生嫌われ続ける人間”のため、”好かれる”ことや”羨望を集める”ために人生を捧げるひとも多い。

上記のため、強者の人間の価値基準や怒られたことが、”倫理観”の前提になる。

これはアスペルガーの人間か生きていくための、切実な”基準”だ。

自分の気持ちを見なかったことにしたり、否定し続けた上に成り立ったものだからだ。

怒られるたびに、傷つきながら手に入れてきたものだ。

簡単には手放せないし、生きていく基盤だ。

違うと言われれば、足元が崩れるような不安にも襲われる。

だからはあちゅう氏が、”自分の周り”では童貞は”ステータス”であり、人を不快にさせるつもりでは

なかったと書いたことに、とても共感したし同情もした。

彼女がせっせと積み上げてきた”倫理観”が、一部の人の為のものだったことだったからだ。

とても困惑していることが伝わってくる。

改めて書くが、はあちゅう氏は発達障害ではないと思う。

謝罪に抵抗があるアスペルガーの人が多いのだが、岸氏に差し出した友人に謝罪出来て

連絡を取り合っているからだ。

そうゆう訳で一生嫌われることを課された人間から、言えることは

今後は

「強者のみで集まっていないコミュニティを複数持つ」

ぐらいだ。

不特定多数に苦言を言われ怒られるのもしんどいだろうし、

今は受け止める余裕もないし、有益かどうか選別も出来ないだろう。

どんまい!はあちゅう氏。

岸氏のことを告発した貴方は素晴らしいし、応援している人も多い。

それに貴方は舞台から降りれば、不特定多数に嫌われ者あつかいされることは無いだろう。

いつだって降りてもいいのだ。

そのうえで、先日亡くなった野村幸子氏のように、憎まれっ子世にはばかるを体現して

ネットを賑わせてほしい。

この文章は個人的な経験によるアスペルガーの特性の一部であり、うまくできているひとも

いれば、もっとうまく出来ない人もいる。というか個人の感覚なので、全般に当てはまらない

ことを改めて書いておく。というか、アスペルガー全員に当てはめないで欲しい。