米国駐在時代、昼休みに聖書読むぐらい信心深い同僚が社内不倫してて、あれはどう言う精神構造なのか?と在米歴が長い日本人に聞いたら「こんなに罪深い私でも神は愛してくれる、と日曜日の教会でエネルギーチャージして、また月曜日から安心して悪い事ができる」と。
物理で命の危険のヘイトクライムみたいなのが未だに起こってるアメリカが性的マイノリティ対策でマウント取ってくるのは、これに近くて、自分達には悪い面はあるけど、対策してるリベラルな私達は偉い、と言う気持ちでエネルギーチャージされて、自分の事は棚に上げて他の国にマウントとる。
罪深い私でも神は愛してくださる、神は偉大なり、で自分を神の側において、その罪深い事が自分は良いけど異教徒はダメ、と言う思考回路は、EUのCO2規制を達成できずに罰金払ったVWを持ち上げて達成したトヨタを叩くEV信仰みたいな事象になる。
罪深い事をしたけど自分達は悔い改めたから神様に愛される側でアイツらは異教徒だからダメ、の思考回路のもう一つの典型例が、今回の性的マイノリティ法の押し付け。
ヘイトクライムで性的マイノリテイが毎年何十人も殺される国がゼロの日本にマウントなんて日本人なら恥ずかしくてできない。
実態よりも信仰の方がマウントの根拠になる、日本人なら恥ずかしくて出来ない事をするから頭おかしい、ではなく、彼等はそう言う文化だと言う事を理解し、その分を割り引いで話を聞かないと。
アメリカ人の話は、話半分でも多すぎ。
話1/4(クォーター)ぐらいで。
キリスト教の話を引き合いに出してリベラルの話をすると混乱する人もいると思いますが、リベラルはキリスト教と言ってる事は反対でも精神構造が同じでひっくり返っただけの宗教だと私は思っています。
だから、ポリコレ戒律を守るかどうか?信仰心を示せるかどうか?が実態よりも大事なんです。
キリスト教文化圏の、自分達は特別で、その特別故に実態はどうであれ、自分達は正義ってメンタリティ、ムカつくけど付き合いをやめるわけにもいきません。
その実態がもっとひどい中華人民共和国に一緒に対抗しないといけないのですから、欧米諸国の行動原理を知って上手く流しながら付き合わないと。
バイデン民主党政権の顔を立てて性的マイノリティ差別禁止法的なモノを作るのが絶対ダメなわけではない。
問題は中身。
性別は性自認で自己決定できる、は絶対ダメ。
あとヘンな認証制度みたいなので活動家と政治家と官僚天下りのチューチューもダメ。
性別の性自認による自己決定と認証制度とかで活動家と政治家と官僚天下りチューチューをさせない制度にしたら、それって性的マイノリティ差別禁止法?と言うよりも既にあるパワハラはダメとか大家が差別しちゃダメとかと何が違うの?ってなるけど。
性的マイノリティへの寛容は外交的には対露対イスラムの文脈が強いので日本がガチンコで入れ込む必要はありませんが、欧米を対中に突き合わせる為にゼロ回答は難しい面もあります。
中華帝国の文化を取り入れても宦官は取り入れなかった日本の先人に習い、日本の国柄に合わせて取捨選択を。
キリスト教、特にプロテスタントの反省してリボーンしたら寧ろ道徳的時優位と言う発想、ええ加減にせいよ、ですが、そのお陰で過去に散々中国を超え太らせ甘い汁吸ってた米国の偉い人が、その方が票が取れるとなるとコロっと掌返しで我こそは対中最強硬派と雄叫び。
日本としては利用しない手はない。
中国目線で考えたら、民主党共和党どちらも今まで散々キッシンジャー方式で甘い汁吸わせた奴らが、恥ずかしげもなくパンダハガーの過去がなかったかのようにリボーンして裏切り我こそはドラゴンスレイヤーなりって顔してるの、ふざけんな以外の何者でもないけど、日本としては、もっとやれ。
キリスト教徒の知人の誘いで何度かその手のイベントに行った事があるが、毎度感じた違和感が「私は悪いことをした。しかし、今は神に祈ってるからノーカン!」の精神だった(まぁ、法的にも償いは済ませているようだが)。
自分以外に被害者がいない案件ならそれでも別に構わないが、被害者がいる案件でそのような態度を取られると「正気か? お前がそう思っているだけではないのか?」という感覚がどうしても拭えなかった。
そうすると「では、犯罪者は一生心苦しさを抱えて生きていけというのか?」という問いが生じるわけだが、それについては「それがあるべき姿なのでは?」と思ってしまう。
というより、自分の過去は自分のものでしかなく、やらかした事は生涯抱えて生きていくのが人間として最低限の尊厳ではないのかと。
お手軽に祈りを捧げて「罪はイエス・キリストが代わりに購ってくれました(お目々キラキラ)」ムーブは正直なところ、当該人物が人類であると認知することを脳が拒否するレベルの不快さがある。
それがキリスト教徒・キリスト教国家の人々の在り方だと言うならそれは流石に。