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裁判官は「個人」ではなく「裁判というシステムの一部」であるべきというのが私の意見ですが、私は個々の...

裁判官は「個人」ではなく「裁判というシステムの一部」であるべきというのが私の意見ですが、私は個々の裁判官に敬意を示すタイプですよ。個々の裁判官は人間(しかもあまり下に置かれたことがない人間)なので礼を尽くしておいて損はないでしょう。全ては良い心象のために。

私は裁判官の「個人的な経験」はどうでも良いと思っています。個人的経験に引っ張られるとしたら法的安定性も予見可能性も何もないので否定的です。どんな経験をしていようがその判断は安定していなければならない。裁判官は個人としては判断をするわけではなく「裁判官として」判断をするのだから。

@noooooooorth

@noooooooorth

我ら弁護士は仕事のために裁判所に行っているわけでそのために必要なことはしますよ。理論は精緻に、物腰は柔らかに、礼儀正しく、侮られたら許さず。

@noooooooorth

締切は守って。でもこれは裁判というシステムや裁判官という地位に敬意を表しているのであって個々の裁判官の人格やらなんやらに敬意を表しているわけではない。そりゃ中には人格的にも素晴らしい裁判官もいるだろうけどそこはあまり重要ではない。

@noooooooorth