/note/social

経営者感覚を経営者でない従業員に求めるのは組織として間違いなくマイナス

「船頭多くして船山に登る」の一言で終わる話だ。

組織の運営方針について構成員が全く理解していない状況は問題だが、「どういった方針を定めるべきか」についてを全員が考えることほど無駄なものはない。

「経営者サイドが運営方針について悩んでいるのだから、それを全員に分かって欲しい」なんて言うのは甘ったれた無意味な行為だ。

「新人は給料が少なくて困っているから重役の方針も同じレベルに合わせて欲しい」ともしも言われたらどうするつもりなんだろうか?

「僕が大変だから同じように苦しんで欲しい」とはそういうことだ。

「そうじゃないよ。この組織がどこに向かいたいのかを共有するために皆が経営者として考えてほしいんだ」なんていうのは、本当に全員が経営者の組織であって初めて成立する話だ。

何故なら、もしも末端の従業員が「経営者的な感覚で考えたのですが」と方針を打ち出したとして、それは組織の中のどこにまで届くのだろうか?

きっと何の影響も及ぼすこともなく、「下っ端が戯言を抜かすな」と握りつぶされるだろう。

ならば、経営者感覚を持つというのは組織として完全に無駄なのだ。

「自分が考えたことが、形になる」と思えるから人間は真剣に考える。

真剣に考えもしないならそれに脳のエネルギーを使うことは無駄でしか無い。

「経営者感覚を皆に持って欲しい」と思ったとき、それが単なる甘えでないのなら、自分が経営を相談できる相手をちゃんと雇うべきだ。

つまる所はコンサルタントである。

無駄金くらいの嘘つきだらけではあるが、彼らには彼らなりのノウハウが有る。

経営について何のノウハウもない従業員に無駄な考えを巡らせ、その時間で学ばせるべきだった本来のノウハウを蔑ろにするぐらいなら詐欺師まがいの連中に試しに金を渡してみるほうがまだマシなのだ。

何故なら、無駄な考えを巡らせる時間は従業員を遊ばせているだけであり、それは人件費の無駄であるだけでなく、成長機会の剥奪でもあるのだから。

そもそも経営と実務は分けて考えるべきものだ。

経営とは結局のところは金勘定でしか無いわけで、対して実務とは様々な要素が絡み合う複合的なものだ。

実務の持つややこしいあれやこれやを経営に持ち込みすぎると、組織の運営方針はグチャグチャにこんがらがって迷走していく。

経営は投資と似た側面があり、下手に動かずにドッシリと結果を待てることが重要になる。

対して実務は小さな改良を何度も繰り返していく必要があるものだ。

もしも経営に小さな改善を持ち込もうとすれば、それは小さなムダを削るために大きな時間をかける巨大なムダへと繋がりかねない。

逆に経営のような単純な物差しで実務を測ろうとすれば、それは小さくこじんまりとした競争力のない仕事や、逆に実現性のない巨大な夢に向けた片道切符へと繋がっていく。

組織の中で果たすべき職務にはそれに適した考え方が必要であり、それらは時に切り離して考えるほうが上手くいく。

誰もが同じ感覚を持った組織というのは脆弱なものであり、経営者サイドのチャチな孤独感を癒やすために組織の色をやたらと染めたがるのは弱体化しか生み出さない。

経営者感覚を全員に持ってもらおうとするのは絶対に辞めた方がいい。

もう一度いうが、組織規模が5人程度で全員が共同経営者ならばそれでもいいだろう。

だが、組織の中に経営者ではないものがいる組織で、経営者でもないものに経営者感覚を求めるのはやめろ。

むしろ経営者感覚では測れない見方をしてくれる相手の存在を維持し続けるために、下手に経営者感覚を持つなと伝えていくべきだ。

何度も言うが、くだらん「皆が僕と同じことで頭を悩ませて欲しい」という考えに囚われるのをやめろ。

その程度の孤独感に耐えられない奴が組織を運営しようとするな。