いま日本では、「若者がめっちゃカジュアルに辞めるので、育てても無駄になりやすく、教育コストをかけてられない」みたいな問題があるのだけど、一方で人材流動性の高いアメリカでは研修やトレーニングに(おそらく日本の企業よりも)力を入れている気がする。これはなぜか→
と考えると、仕事の標準化と関係しているのでないか。日本の育成とかトレーニングは、決まった業務をきっちりできるようにするためのものではない。なんなら育成の目的すらないケースも多い。わかりやすい例で言うと→
新入社員研修というものが世の中にはあって普通の企業はやっているらしいので、うちも普通の新入社員研修をやっておかなければ…くらいの設計しかなされていなかったりする。それっぽいことをそれっぽくやるのが目的になってしまっている。
アメリカ
・人材流動性:高い
・業務:定型化
・トレーニング:定型化
日本
・人材流動性:低い
・業務:定型化されず
・トレーニング:定型化されず(なんかふわっと、人としてビジネスパーソンとして成長しろ的な)
って感じなのかな。
ただまあ、これは悪いことばかりではなく、いざというときは日本人ビジネスパーソンの方がいわゆる「つぶしがきく」という側面もあるのかもしれない。転職すら怖がってはいるものの、いざというときは……。治安の良さとも関係ある?
ただまあ、これは悪いことばかりではなく、いざというときは日本人ビジネスパーソンの方がいわゆる「つぶしがきく」という側面もあるのかもしれない。転職すら怖がってはいるものの、いざというときは……。治安の良さとも関係ある?