1年半まえ,「脱成長論はろくでもないってみんなも気づきつつある」ってタイトルの記事を書いた〔日本語版〕.あの頃,脱成長運動はアメリカでちょっとだけ注目を集めつつあった.気候変動に対抗する主要な行動をすすめようとする人々の後押しの一環としてだ.でも,エズラ・クライン,ブランコ・ミラノヴィッチ,ケルシー・パイパーといった著作家たちが意見を言葉にして,この考えを批判した.要点をかいつまんでいうと:
・クラインの指摘――〔脱成長で求められる〕生活水準の大幅な低下は,豊かな国々では政治的に受け入れられそうにない.
・ミラノヴィッチは次の点を論じた――世界規模で意味のある脱成長が実現されるには,豊かな国々をこえて運動が広まらないといけない.他方で,脱成長のためには,貧しい国々が貧困から抜け出すのを止めなくてはならない.これは,政治的に実現困難だし,道義的に間違っている
・パイパーの主張――世界規模で足並みを揃えて脱成長を進めるためには,〔政府による〕中央での計画経済が必要となる.その規模は,実際にできる範囲を超えている.
以上の3点は正確だし,論拠のたしかな論点だ.これら3つを合わせると,合衆国やアジア,さらには世界の他のほぼあらゆる地域で,脱成長がまともな支持を得る見込みは絶えそうに思える.