どっちかなんですよ、国家が個人の面倒を見るか、家が個人の面倒を見るか。
その際、国家を優先するか、家を優先するかの問題に、なるんですよ。想像の共同体が、想像のリアリティをかくとき、そこに国家ではなく家しか残らないやつ。
『身内の面倒は身内で見ろ。でも、国家にも納税しろ』とか、『国家と個人』の関係ではなくて、『国家と一族』の関係になるやつで、近代国家の自覚が微塵たりとも感じられなくなるやつ(´・ω・`)
国民は、一人一人が国家と国民の関係になるのであって、家に属して、家が属する国家の国民じゃないんで。
しかし、国家は無限に国民の面倒を見ることはできないので(無理矢理やればキューバになる)、どこかで切り捨てるべき属性の人々が発生する。
無限の福祉はありえず、かといって福祉をケチればその怨念は国家を傾かせる。
だからこそ、国内で経済を回して真っ当に働けば生活できるという共同幻想を維持する必要があったのだが。