沖縄タイムズの阿部記者から取材されました。氏の主張によると日本人の私は、沖縄の現状に責任があるから、その立場をわきまえて発言しなければならないとの事です。その様な議論は「お前は社会に貢献していないから立場をわきまえろ」と言う主張に転換しえます。議論は常にフラットに行うべきものです
尚、私は阿部記者に、「それならあなたも、シングルマザーの現状に対して責任があるが、その責任を踏まえて発言しなければならないという事になるが、それでいいのか?」と問うたところ、「私は対策を打たない事に対しては責任があるが、原因は創っていないからその責任はない」との事でした。
「それなら戦後生まれの私は、沖縄の現状は創っていないが、その責任はないという事でいいのか?」と問うたら、今度は、「民主党政権時に基地の移転の話があったが、新潟が受け入れなかったから現状を創った責任がある。」との事でした。余りに非論理的で凡そ議論が成立しません。
沖縄の現状に日本人の全てが責任があるのはその通りでしょうが、同じように、シングルマザーの現状にも、全ての人が責任があります。にも関わらず、一つのトピックを議論する時に、恣意的に設定した責任で人を加害者と被害者に分け、加害者はそれをわきまえて発言しろなどと言ったら議論はできません。
余りに議論が成立しない事に、驚きを禁じ得ませんでした。
最初から相手を「悪」、自分を「善」に設定して行う議論モドキ、野党や共産党と強いつながりのある人達の得意技である。
論点先取とか結論ありきの議論モドキである。
なお、米山隆一の嫁さんである室井滋もそういう話法をよく使っていた。