日本だとそうでもないんだけど海外の話になると「事件」と「文化」を混同する人間が多いんだよな
例えば最近だと日本では猟銃で警官が撃たれたり、自衛官が撃たれたりしました、悲惨な事件ですね
それで日本人物の考え方とか、日本の国の体質とか、そういうのが分かるのかと言うと、分からんでしょ
でもそれが海外になると、ニュースに載るような事件を追うことで、その国の体質とか体制を分かったような気分になるんすよ
例えば日本は税金どんどん増やして、高齢者医療にどんどん注ぎ込んでる、じゃあ日本はそれに国民全員が賛成している医療国家なのか? 違うでしょ
でも俺達は日本以外の国を語るとき、あの国の制度がこうなっているから、国民はこういう事を考えていて、こういう人間である、みたいに語るんすよ
これは違いますよね、そこに住んでる人は現状について深く考えることはなくて、逆に現状からどう変わっていくかを考えるもんでしょ
例えば日本は治安が良いです。じゃあ、日本人はみんな治安を良くする事について真剣に考えているのか? そうでもないでしょ
むしろ治安について真剣に人々が考えてるのは、アメリカみたいな銃殺人が多くて、治安に問題のある国なんすよね
思想や考え方というのは、その社会で不足しているものを補うべく発達するものという考え方があるらしい。
治安が悪い地域の人間は治安維持を真剣に考えるのと同様、食料が不足している地域の人間は食料について真剣に考え試行錯誤すると。
中国で儒教が重んじられたのは中国の人民に礼儀作法の概念が無かったから。
日本で武士道が重んじられたのは武士階級に潔さや忠誠心の高さも無かったから。
キリスト教圏でキリスト教が重んじられたのは人々に博愛精神が無かったから。
人々が「本来こうだったらいいな」という理想が共有されていった結果、思想や文化として体系化(あるいは暗黙的な制約)になっていく。