いま嬉々としてペドフィリアを攻撃してる人たち、1980年代に存在してたら嬉々として同性愛者を攻撃してたんだろうなとは思う。
@iikagenni_siro_
「児童の自己決定権はどこまで認められるべきか」みたいな話について真面目に考えるとペドフィリアなんぞクソどうでも良くなるような社会問題がゴロゴロ転がってるわけですが、ペドを叩くのに忙しい人たちはペドを叩くことで頭がいっぱいなので児童の権利については何も知らないし何も語れない。
@iikagenni_siro_
いや違うね
同性愛者は放置しようが擁護しようが社会に実害がない
ペドフィリアは明確に児童の人生を歪ませて実害が出る
ペドフィリアが生まれ持った資質なんて百も承知なんだよ
だけど、それを認められないから合法的に差別するしか無い
それの何が悪い?
@akusizu00
1980年代の苛烈なゲイ弾圧の背景にはゲイコミュニティがHIV流行の根源地になってたという事情があり、「ゲイは感染症を蔓延させるから良くない」という『実害』ベースの差別だったんですよね。あなたは社会に実害がある以上ゲイは合法的に差別されるべきと考えますか?
@iikagenni_siro_
たいていの差別には「合理的」な理由がありますよ。障碍者だって黒人だってゲイだって差別されるにはそれなりの背景がある。ぶっちゃけペドフィリアは被差別集団の中では社会に与える負の外部性がだいぶ少ない方じゃないですかね。それなのにここまで差別されてるのは興味深いですが。
@iikagenni_siro_
MEMO:
- 現代社会における良き市民は「差別は絶対悪である」という規範をインストールし、盲目的に従うことを要求される
- しかし、人間は不完全なので好悪感情やそこから発展する差別感情を捨てることはできない
- そもそも、何かを好む・愛することは「そうではない」ものを憎み・排斥することに直結する
- さておき、差別感情を禁じられた現代人は様々な言い訳を重ねて己の差別感情を合理化する
- この差別は良い差別だと発想を転換することで内心の罪悪感を正当化する
- ペドフィリアなどはパブリックエネミーとして全く以て好適である
- 「同性愛者が社会にとって実害がない」という事になったのは極最近のことであり、それまでは「子孫を作らない事は祖先に対する裏切り」であり「一族の血を絶やさんとするクズ」で実害しかない存在だとされてきた
- 一族の血を絶やすことは祖先への裏切りであり、直接的には労働力の再生産を行わない穀潰しである
- だから紀元前から迫害されてきた
- そして、それは紀元前〜近中世までは正しい価値観である
- だから、古代のゲイは聖職者や宗教という巨大な権威の影に隠れ潜むことになった(聖職者なら労働力の再生産を行わなくても許される)
- そのような歴史的な経緯・事情を考えず、現代の価値観で「同性愛者に実害はない」と言い切ってしまうのは脳に栄養が回っていない証拠である
- とはいえ、ペドフィリアに生理的に嫌悪感を持つこと自体は悪いことではない
- 子供を守りたいという衝動は自らの血族を守らんとする遺伝子の要求に従っているからだ
- 結局、人間は遺伝子の運び屋でしかない以上、その原初の衝動を否定することはできないのだ
(2023/09/02)