「強い女」概念、しばしば「わがまま」とか「男をいじめたりアゴでこき使う」になりがちで、まあある種の願望の発露なんだろうけど、「え~、君にとっての『強い』ってそういうことなんだ…」と思ってしまう。
それってサル山のボス的な強さであり、「有害な男らしさ」に属するものじゃないかなぁ。
権威性のある大人達がそういう「強い女」をヨシヨシして甘やかしてきたという積み重ねがある。
客観的には男の権威の庇護の下でイキり散らす愛玩動物にしか見えなくとも、当人らの認識としては革新的な強い女という感覚になるのだろう。