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日本人はなぜ「生産性の高い社会」を理解できないふりをし続けるのか

https://anond.hatelabo.jp/20240227085257

この増田もトラバもほとんど完全に的外れで、今回に限ったことではなくいつも同じような流れで本当に不思議なんだけど。

生産性の高い社会とは、個人の能力が高い社会のことではない。

同一の投入能力あたりの生産量が高い社会のことだ。

個人の能力が高まって生産量が上がるのは自明であって社会は何も進歩していない。

そうではなく、設備投資、イノベーション、配置換え、何でもいいが

効率を上げることで同じ投入能力でより多くのものを得られるように、システムを変更することが「生産性を上げる」ということだ。

これはしかし決して簡単なことではない。投資とリスクテイクを常に行い、市場に結果を評価される必要がある。

それが本来の経営者の仕事だ。


零細企業の生産性が上がらないのはなぜか。

経営者がもはや設備投資や取引先変更などのリスクテイクを行う気がないからだ。

零細企業は長期的な利益の最大化ではなく、経営者のライフイベントによって動く。

経営者がそれなりの報酬を得ている老人ならもはや設備投資もリスクテイクもやる気は起きないだろう。

死ぬまで低賃金労働者をつかって現状維持し、資産を減らさずそれなりの年収を確保できればそれで満足してしまう。

これは個人の行動としては合理的で、だれかの能力の介在する余地はほぼない。

だからそうなったらもう生産性を上げるには外圧で潰して資源を開放するしかない。

ストなどで賃金水準を上げていくのも重要だし

政策レベルで強制的に最低賃金を徐々に上げていくことはこの一つの外圧だ。


もちろんこの過程で失業率は上がるだろう。ストにもレイオフのリスクがあるし、企業が破綻するかもしれない。

しかし単純に労働力分配という観点からみればそれはあくまで、ほかの効率のいい仕事へ移行する際の待機時間であり

永久に労働市場から消えるなどというバカなことはない。

「失業=まともな人生からドロップアウト」のような日本の観念が意味不明なのだ。

もちろん失業率が高すぎないに越したことはないが、それは単に待機時間が短いほうが効率がいいというだけの話だ。

社会全体の生産性の向上を止めてまで失業率を下げるのは本末転倒ではないだろうか。

経済効率だけから考えれば失業者の生活は社会保険でカバーすればいいだけの話だ。

実際に最低賃金を上げていった国は徐々に生産性が上がっている。


むろん、人間には感情というものがあり、労働に参加していないと社会的無力感を感じるし

それを抜きにしても人間関係などの社会資源から切り離され個人レベルの損失はあるから

そういった部分には対処する必要があるだろう。

しかし少なくとも経済学的には、雇用状態/失業状態は個人の能力を表すわけではなく、単に今労働力が市場に利用されているか否かを表すに過ぎないし

最低賃金の水準は個人の能力とは関係ない。しいて言うなら社会の能力に関連している。

もちろんただ最低賃金が上がればいいという話でもなく結局は生産性を上げることが重要だ。

そしてそもそも、低賃金労働者=能力が低い、というのは必ずしも正しくない。

単に生産性の低いクソ環境で働いてるだけかもしれないからだ。

ほかの指標がないから「現在の賃金=個人の能力の代表値」とすることが横行しているが、雇用の流動性が低いほどこれは不正確になる。

もちろん能力評価による昇進や転職が機能している場合には個人の能力に相関はするだろうが、能力そのものではない。

さらに言えば生産性が上がれば必ず賃金が上がるとも言えないので

可能ならば労働者側もストなどをして労働者のパイを増やすことをやる必要がある。


ここまで書いてきたことは教科書レベルの話で、流石のはてな民といえど本気でこれを理解できないほどアホとは思えない。

なぜここまで理解できないふりをし続けるかに興味がある。

明らかに一部の世代の日本人が病的なまでに設備投資やリスクを嫌っており、それをしなくていいように逆算してロジックを組み上げているとしか思えないのだ。

こっちにも仮説はあるのだが、本当のところはよくわからない。

なぜ皆さんはここまで「生産性」を理解できないふりをし続けるのか?