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独身の50代だけど寂しいから止まらない

「これ迷惑がられてるな」

「距離置きたがられてるな」

と勘づいても止められない。突き進んでしまう。


会社の後輩(既婚、子なし)からウザがられてることを肌で感じながらも土日遊びに誘って連れ回してた。

断られると「お前のためにならない」とシリアスに説教して渋々了解させてた。

最終的には夫婦にとってのお兄さんになりたかった。


「嫁がメンタルやったのでこれまでみたいに遊びに行けなくなる」

と申し訳なさそうに言われた時、ひとしきり心配した振りをして

「俺ができることならなんでもする。きっと心にも良いから3人で旅行に行こう」

と提案したら凄い顔された。あの顔は忘れられない。

後輩は会社を辞めた。

一切連絡がつかなくなった。


凄いよな。

嫌われてるのわかってても自分のほうが可愛いから絡みに行くのやめられないの。

誰か俺を救ってくれ、


追記

昨夜苦しくなって、

「俺は嫌われている」という自覚を封じ込めず対峙しながら胸のうちを明かす、

ということを久しぶりにやった。

「弱いのが醜い」という属性の人間による弱さの暴露だったのにもかかわらず、思いがけず反応が多くてありがとう。

雑でも胸のうちを文字にしたこと、

一夜明けて冷静になったこと、

これらによって自分を少し客観的に視られるようになったために新たな発見があったので、それを書いておこうと思う。

自分のようなタイプの人間は他人から見て「デリカシー無さすぎて理解できない」状態のままにとどまりがちで、自己反省している様を表に出さない。

自分が自己反省や言語化を試みることで他人から多少の理解が進んだり、アドバイスを得られたりという効用があるかもしれないのでここに書いておく。

・なぜ嫌われていることを察しても突き進んでしまうのか?

→反省して我慢するなどの「ハッピーじゃない」状況を受け入れるコストが高すぎるから。

「あいつ俺と距離置きたがってる感じだったけど普通に笑顔で挨拶返してくれるし、雑談も相変わらずしてくれた」

「俺より明らかに優先順位高いであろう家族や恋人の話とか、プライベートで困ったことの話とかを普通に会話のなかで出してくれる」

とかで精神的に安心して「まだこのままでも平気だ。三行半突きつけられていないからまだ俺は平気なんだ」というふうに捉える。

これが自分の身勝手な行動を改めずに「突き進んでしまう」原因だと考えた


・なぜ薄々でも気づけたのか?

→淫夢ネタが好きで、いつも一人でネットでホモビネタを見ながら大笑いしてる。

そのなかで、

「ホモセ仲間の後輩から突然『ついに嫁との子供ができたからもうこんなこと続けられません』と突然別れを切り出されてしまった男の哀しい想いと愛を綴ったウソ歌詞があるのだが、

ネット民の大爆笑をかっさらう一方で自分のほうは初めて見た時にその日の夕飯何も食えないほど精神的に落ち込んだことがきっかけ。

嫌でも「これ俺じゃん…」と自覚させられてしまって落ち込んだのだ。

そこからは自分の哀れさに自分のなかでウソをつけなくなった。

実際、件の後輩夫婦に対してずーっとずーっと「お願いだから子供はできないでくれ!!作らないでくれ!!」とかなり切実に願っていた。

命をかけられるほど大きな存在である子供が彼らの夫婦の人生に登場することで、瞬く間に自分への態度や振る舞いが遠慮なくキッパリ強いものになるだろうと予感して怯えたのだ。

・キャバクラは?

→女が百戦錬磨なので勝てないと最初からわかっているから全く好きじゃないし絶対にハマることはないはず。

自分は元来から、立場が下だったり、お人好し的人間を見抜いて「尊重して欲しい」と付きまとうタイプだったんだろうと思った。


・社会人サークルは?

→自分よりひとまわり、ふたまわり歳が若い人間に囲まれることに対する想いが強く、他の余暇の潰し方に一切興味がもてない。

抽象的な言い方になるが、

「太陽が燦々と降り注ぐビーチで若い女の子達がピースサイン、最前列でお調子者っぽい若い兄ちゃんが二人くらい寝そべりながらピース、その他の男達は皆同じ謎の面白ポーズをしている」

みたいな写真の光景のような遊びをしたい。

そこにいる若い連中を見守り愛される存在でありたい。

とにかく「祭り!!」みたいなのがいい


ツイッターのアカウント作ってここに貼ったら誰か繋がってくれるだろうか

MEMO: