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「金融的検閲」の脅威

「金融的検閲」(Financial Censorship)という言葉は聞き慣れないかもしれないが、近年言論の自由や表現の自由、あるいはインターネットの自由全般に対する問題として注目されている。金融的検閲とは、銀行や決済代行業者、クレジットカード会社などの金融機関が、顧客の行為(その行為自体は金融機関とは無関係なことが多い)を理由に、顧客の入出金を阻害したり、口座を閉鎖したりすることを指す。

金融的検閲がなぜ「検閲」かと言えば、ネット上での表現活動への影響が極めて大きいからである。多くのネット上の表現者は、収入を寄付やオンライン販売に頼っており、入出金にオンライン決済を利用している。そのため金融機関からこうした形で締め付けられると、すぐに活動が立ち行かなくなってしまうのである。

私が初めて金融的検閲の威力を目撃したのは、14年前のウィキリークス事件のときだった。米国の機密を次々と暴露したウィキリークスは、超大国である米国政府でさえ真正面から対処できなかったのだが、(もちろん米国からの非公式な圧力はあっただろうが)PayPalのような決済代行業者やVisaやMastercardなどのクレジットカード会社が決済を停止したことで、あっさりと白旗を揚げざるを得なくなった。ウィキリークスは運営資金をオンライン寄付に、ウェブサーバ代など経費の支払いをクレジットカードに頼っていたため、入金と出金の両面ですぐに行き詰まったのである。

本来は、例えばクレジットカード業界がVisaとMastercardなど数社による寡占状態にあることが問題の根源であり、これを政策的に解決するのが本筋だろう。あるいはブラックリストの基準を明確化して、例えば政治的信条を問わず無差別に顧客にサービスを提供することを義務づけるということも考えられるが、これは法執行機関も含めた相当な抵抗が予想される。

そのため、私自身は政策的な解決には悲観的であり、中長期的には技術的な解決を図るべきだと考えている。例えば暗号通貨は元々、分散型で決済手段の主導権をユーザに取り戻す目的で開発されたが、ビットコインなど現在では取引所経由での取引が当たり前となり、規制が容易になってしまった。Skebcoinなどの試みも興味深いが、今後は、Moneroのようなプライバシー重視の暗号通貨や、暗号通貨と法定通貨の交換を容易にするBisqのような分散型交換所システム、GNU Talerのようなオープンな決済システムの開発と普及を加速させる必要があるかもしれない。これらは従来、需要がないとして「問題を必要とする解決策」などと揶揄されてきたものだが、そろそろ必要とされる時代が到来したのかもしれない。