20年前くらいは女は結婚したら専業主婦になるのが当たり前の時代だった。
そこから価値観が一転して、子育てしていてさえ女も働けという社会になってきた。
しかしその両者は真逆の価値観のようでありながら、実は、女の人生は他人や社会が決めていいという、女の人生や意思の軽視があるのではないか?
社会は変わったようでいて、女を軽んじ踏み付けるというあり方はまるで変わっていないように思う。
女もまた女を軽んじ踏み付ける。
他人の生き方や人生のあるべきを決め付け正しいか正しくないかをジャッジするのは、そこに相手の存在の軽視があるからではないでしょうか?
時代が変わったようでいて、女は相変わらず存在価値を軽んじられ他者にジャッジされ、生き方を指図される、そういう存在で良いと思われている。
社会は変わった。でも変わったのは、女をどう利用したいかという社会の側の都合であって、女を尊重するという形への変化ではないのだと思う。
専業主婦批判にしてもワーママ批判にしても独身女性批判にしても、他人の暮らしや人生に口出ししてジャッジしてダメ出しして自分の思い通りにコントロールしようというのは何ら社会正義などではなく、単なる姑根性とか支配欲ではないかと思う。
社会を変えるというのは、制度を変える、支援を整えるなど、社会の側に働きかけるものであると思うので。
期待される生き方を人が選択しやすくなるように社会を整えるというのが、社会問題を解決するために必要な事であるはず。