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挨拶に否定的な人の心理

「夜ふかしの読み明かし」というPodcastで哲学対話の永井玲衣が「なぜ挨拶をするのか」というテーマで挨拶に対して否定的な立場で話していたのが気になったので書いてみる。

アメリカで黒人同士が目と目で挨拶(存在承認)し合う、という話が少し前にネットで話題になっていたように、挨拶はそもそも相手の存在承認だ。

つまり「お前の存在を無視していない」というメッセージだ。

「挨拶しないでけしからん」という意見は「無視しやがってけしからん」と同義だ。

それぐらいで大人げないという意見もあるが、無視はいじめの基本だ。無視だけで人は病むしヘタすれば死ぬ。

意図的な無視は相手の存在の否定である。

お辞儀の確度とか挨拶の仕方に文句をつける人達はクソだが、挨拶されて返さない人は、相手の存在を否定していい、ひいては相手が死んでも構わないと考えているわけだ。

こう考えると、挨拶がないと怒る側が権力者で怒られるのが若者であっても、挨拶1回しなかっただけで大人げないという意見はあっても、怒ること自体は仕方ないといえるのではないか。

挨拶不要と考える人は、人間にとって異常な状態である都会での生活を標準だと勘違いしているのではないか。

満員電車や、街ですれ違う人に挨拶をしないのは、他人が多すぎて互いを路傍の石のように無視しないとコミュニケーション負荷が高いので、お互いの存在を無視しあいましょうというコンセンサスが成立しているだけの話である。

結論: 挨拶は人間の基本