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かつてホロコーストの被害者だったユダヤ人が、ホロコーストの加害者になってしまった、と感じるのは私だけですか?...

イスラエルを建国したのはホロコーストの被害者ではないからです。

単純に時系列を見れば、1945年の終戦後に疲弊しきっているホロコーストの被害者が1948年にイスラエルを建国できるはずがありません。

イスラエルを建国したのは20世紀初頭に東欧からパレスチナに渡ったシオニストたちとそれを支援するヨーロッパのユダヤ人財閥です。

彼らが建国したイスラエルにホロコーストで発生したユダヤ人難民を受け入れたのです(1953年までに約17万人がイスラエルに移住しました)。

ところがイギリスに対するテロやアラブ人との戦闘など多くの戦いを繰り返しイスラエルを建国したシオニストは強さを信条としていて(自分たちをサブラー棘があるサボテンに例えています)、ホロコースト難民を弱者と捉えて見下していました。彼らをサボン(石鹸ー弱虫の意味)と差別的な呼び方で呼んだりしていたのです。

潮目が変わったのは1961年にイスラエルのテルアビブで行われたナチスのアドルフ・アイヒマンの裁判からです。

イスラエルの諜報機関モサドによって逮捕された経緯からイスラエルで裁判が開かれましたが、それは少しおかしいことでした。

イスラエルが全ユダヤ人を代表しているわけではないし、本来は国際司法の場で裁かれるべきだからです。

この裁判を取材したハンナ・アーレントは「ベングリオン首相が演出したイスラエルを正当化し世界に知らしめるためのショーであり、シオニズムのイデオロギーを語る舞台であった。」と鋭く批判しています。

以降、イスラエルは対外に向けてはホロコースト被害の代弁者として振る舞い、国内でもホロコーストに関する教育を徹底するようになりました。

一方で、現在のイスラエルは多くのシオニストの直系が(ホロコーストサバイバーは少数派です) 政治を指導しており、アラブ人を排してイスラエルを建国した、強いサブラのイメージのままで政策を決定しています。

ちなみにネタニヤフの父親はポーランドから移民してきたシオニストのベンツィオン・ ミレイコフスキーです。シオニストによくあるようにロシア風の名前をヘブライ語のものに変えた結果ネタニヤフとなったのでした。