この話、「どちらにも事情がある」のはその通りで、いくらでも発散する議論です。相対化を激しく行うことができ、ポイントがわからなくなってくるでしょう。
しかし、とことん両方の意見を聞くならば、ロシア寄りの回答をするか、そうではないかの思考の違いについて、最終的な分水嶺であり、すべての起点となる1つのポイントがあります。
それは、「ロシアの具体的な侵略行為を、正当化するか、しないか」です。
正当化するといっても、
- アメリカのせいだから、ロシアも悪いのだが「しょうがない」「やむを得ない」といった消極的な正当化
- 「もっと悪いものがあるから」という理由で、善悪判断がブレる人。
- すでにこうなってしまったのだから、認めざるを得ないでしょ現実なんだから、といった消極的な正当化
- 正しい、正しくない、という判別自体を国際政治については無効とし、結果的に現状肯定して結果的に正当化する地政学リアリズムかぶれの正当化
- 完全にロシアの立場に立つ正当化(ウクライナは元々ロシアのもので、軍事力が弱いんだから侵略されてもしょうがない。抵抗するな)
- 実際に32万人からの軍隊を他国に侵入させて、沢山の人を殺し、領土を奪ったことの意思決定責任・結果責任を、どうしても単独では見ることが出来ず、経緯と結びつけてみることしか出来ず、なのでロシアの責任があるとは言えない。なぜなら経緯があって、結果だけで見るべきではないからだ(←結果的に、行為については正当化しているのと同じ)
- この延長で「ロシアはアメリカにコントロールされて攻撃させられた。だからアメリカが一番悪い」まであります。
などいくつかがありますが、ただ、根はかなり同一です。一つの立場の程度問題とも見なせるでしょう。
とことん親露派やどっちもどっち派を含め、擁護論の主張を追求していくと、すべからく根っこにはロシアの個別具体的な侵略行為についての積極的もしくは消極的な正当化が伴うのです。これは必ずです。
これに対して、どうあがいても、どう解釈しても、行為は行為、事実は事実で、侵略行為を行為として取り出してみれば正当化に至ることはできない。何らかの情状があるにせよ、それを考慮するのは罪を認めて撤退した後の話で、侵略を堂々続けているなら適用できず、侵略行為自体は拒否しなればならない、というのがロシアの侵略を非難する西側の立場であり、それにとどまらず国連総会のロシア非難決議に賛成した国連加盟国193ヵ国中144ヵ国、「ロシアの侵攻を認める」とは口が裂けても言えずに棄権した35ヵ国を加えると193ヵ国中179ヵ国の公的な立場です[1] 。もともと国連そのものが侵略戦争をさせないために結成された組織なのだから当然のことではあるのですが。
このように侵略行為を、行為として正当化するかしないかの立場の違いが分水嶺となります。どちらが正しい、という話ではなく、ここが違うからすべての議論がくいちがうということです。
いったん「ロシアの侵略の正当化」のポジションをとることによって、すべての露擁護の主張が導きだされてきます。ウクライナが悪者の様に言うのもウクライナが悪者だと最初からそう思っているわけではなくて、「ロシアの侵略を正当化するにはそうするしかない」からそういう風に理屈を作ったり、そういう根拠を結論ありきで「見つけだしてくる」ということです。侵略の定義はない、とか、アメリカもやってる、とかもその類いです。侵略戦争と自衛戦争の線引きが難しいケースがある、だからすべての侵略戦争は自衛戦争で、すべての自衛戦争は侵略戦争だ、同じだ、ウクライナの自衛戦争も認めない、みたいな知性の放棄も同じですね。相対化論を見ていくと、このような知性の放棄をしばしば見つけることが出来ます。「根拠を作り出す」ことの一番悪い例は捏造や虚偽情報です。ロシア擁護ではとても多く見ることが出来ます。彼らは、「ロシアの侵略を正当化できるなら虚偽であっても有用であり、真偽は問う必要がない」と考えます。目的ありきなのです。
このような構造は、太平洋戦争において、「日本が悪者のはずはない、あの立派だったおじいちゃんが侵略戦争に加担したはずがない、だから大東亜戦争は正義だった」と言うような話と同じですね。
どんなにまるめこもうとしても、ロシアの擁護を続けるためには、ロシアの侵略を正当化している必要があるのですが、さすがにそう言うのは恥ずかしいのか、口ごもったり、あからさまにそう言えずに「正誤では言えない」などと論点をずらします。あるいは「ロシアのやったことは悪いが」と前置きだけいって、あとはだーーーっと擁護して、で、その前置きはどうなったの? 無視すんの? 時候の挨拶なの? みたいなことも良くありますね。
また、彼らは議論の過程で仮にロシアの侵攻を悪いと認めても、「ウクライナの武力行使も同じ様に悪いのだ」と言い始めたりします。「ロシアの侵攻を正当化するかしないかが、ロシア擁護と結びつく」という話をしてるのに、ウクライナの話を持ち出すのが典型的な論点ずらしです。よほど罪悪感はあるらしいのですが、被害者を巻き込まないと認められない。それでつい「強姦はされる方も悪いのだ」というたぐいの論を主張してしまいます。自分が侵略を正当化していることを認められずに自己矛盾に陥いることも多いです。
ではなぜロシアの行為を正当化するのかというのは、聞いていくとその根っこはたいていはやっぱり心情的なはなしでロシアの行為にもウクライナにも関係なかったりします。判官贔屓とか、反米とか、プーチンは人情家で悪い人ではない、みたいな。ただ、「停戦しなければ死者が出続ける」というのはその通りだと思います。しかし、その主張が、ウクライナが提示する停戦条件[2] は無視し、「いままで侵略してぶんどった分の併合をみとめる停戦にしろ」というロシアにとっての都合のよい停戦にしか賛同しないなら、ロシアのプロパガンダに利用されているだけなので、ウクライナ人を無視する形で使われてはならないと思います。
ただ、それはそうとしても、ロシアに住んでいるわけでもなく、直接的な利害関係がないなら、本格的な擁護にはあと一歩が必要です。その一歩には、その人がもつ世界観が関わると思います。たとえば、(1)「陰謀と力で世の中が成立していて、それで良い、しょうがない、そういうものだ」(2)「理想の追求と覇道の相克で世界がなりたっている、そうあるべき」(3)「世界は理想論で進むべき」というような3つがあるとして、ロシアを擁護するひとは潜在意識的かもしれませんが(1)の世界観に共感する人が多いはずです。なお、(1)の世界観を自身も信じ体現している陰謀世界観の申し子が、ウラジミール・プーチン御大その人です。
脚注
[1] 国連総会のロシア非難決議、反対は5カ国のみ。賛成141カ国で採決 議場から拍手、その時ロシア大使は… [2] ウクライナが求める「平和の公式」という停戦条件