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私の仕事はブルシット・ジョブかもしれない

今日、Kindleのセールで『ブルシット・ジョブの謎』って本が安くなってた。

たった399円だったから迷わずポチった。

"クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか" ってタイトルが、なんだか妙に胸に刺さったんだよね。

休憩時間に少し読んでみたら、案の定、私の中でふつふつと湧き上がってきたものがあった。

もしかして私の仕事ってブルシット・ジョブなんじゃないか?って。

その瞬間、コロナにかかって数週間休んだときのことが頭をよぎった。

私は典型的なオフィスワーカーで、ワーカホリック気味なんだ。

自分がいないと仕事は回らない、そう信じて疑わなかったし、それが私の存在理由だと思ってた。

でも、コロナで強制的に休んだあのとき、正直気が引けた。

会社に迷惑かけてるんじゃないかとか、私がいないせいでプロジェクトが滞ってるんじゃないかとか、そんなことばっかり考えてたんだ。

でも、コロナから復帰してみたら、何のことはなかった。職場は普通に回ってたし、私がいなかった間に何か大きな問題が起きたわけでもなかった。

もちろん「おかえり」とは言ってもらえたし、みんな優しかった。

でもそれだけで、別に私がいなくて困ったという話は一切出なかった。

あの時、私はハッと気づいた。ああ、そうか、別に私がいなくても仕事はちゃんと回るんだって。

私は、私がいなければ成り立たないって信じてたけど、実際にはそうじゃなかった。

代わりはいくらでもいる。

誰がやっても結果は変わらないような、あってもなくても大して影響のない仕事なんだって。

そんなことに気づいてしまったら、なんだか自分がすごく小さく、無意味に感じた。

その後も仕事をしているけど、どうしても頭の片隅にはその感覚が残っている。

私の仕事はブルシット・ジョブというやつなんじゃないか? そんな思いが昼からずっと消えない。

誰でもできる仕事。効率化すればいらなくなるかもしれない仕事。

そう思うと、自分の存在理由が薄れていく。

もちろん、私がやっていることにも意味はあるんだろう。たぶん。

毎日何かしらの結果を残しているし、私が担当していることが少しでも誰かの役に立っているかもしれない。

でも、代わりはいくらでもいる。私がいなくても何も変わらない。それに気づいたとき、私は本当にどうしたらいいか分からなくなった。

今、これを書きながら、泣いている。

涙が出て、馬鹿みたいだなって思うけど、止まらないんだ。

誰にも言えないこの気持ちを、どうやって整理すればいいのか分からない。

もしかしたら、これは誰にでも起きることなのかもしれないし、私だけが特別に感じていることじゃないのかもしれない。

でも私にとっては今この瞬間がすごく苦しい。

自分の存在理由を見失ってしまったようなこの感覚。

もうどうしようもない。

今年で38だし、結婚適齢期からも外れてしまった。

どうしよう

涙が止まらない

MEMO: