僕がその塾で殴られたのはその一度限りだったんだけれど、他の生徒とかはよく殴られていた。遅刻だとか宿題忘れただとかの理由で。そんな中、結構な人数が遅刻したり宿題忘れた、という日があった。すると、その講師は自分で殴らずに遅刻していない生徒、宿題を忘れていない生徒が遅刻した/宿題を忘れた生徒を殴って良い、という指示を出した。狂気。
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他の生徒たち遅刻したり、宿題を忘れた生徒の事を大義名分の下、割と平気な顔をしてビンタしたりしていた。ある日は殴られ、ある日は殴る。その塾は半年くらいで辞めたので、その後どーなったかは知らない。
さて。この塾で起きた殴り殴られに際して、殴る側が悪意を持っていてやっていたか、もしくは悪いと思ってやっていたか、というと僕はそうじゃないと思う。では、何を考えながら殴っていたかというと、おそらくだけれど「やるべきことをやっている」と思いながらやっていたと思う。
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教室のような小さな単位、且つ絶対的な権力を持つ者(ここでは講師)がそれを振りまけば、そこにいる者たちは簡単にそれを「当然のものである」と受け取ってしまう。そして、何と言ったってそこにいたのは青二才にも満たない小学生だ。簡単に狂気は感染するだろう。
いくら狂気を孕んでいてもそれを権力側が役割を与えて「やるべきことである」と植え付けてしまえば、どれだけ狂ってようが、どれだけ偏っていようが、どれだけ悪に満ちていようが、その行為を受け入れてしまうのが人間という存在であると思う。