坂本さんの自宅前の川は氾濫したが、夕方にはその水も引いたという。パート従業員らと未明から店で弁当作りに励んでいた坂本さんもようやく帰宅でき、宿泊地の雨がひどいというボランティア数名を自宅に入れた。現場中継していたテレビ局のクルーが「帰れない」というので、こちらも入れた。だが、耐え難かったらしいその際のいらだちを翌日、SNSにこうぶちまけた。
「道が寸断して帰れないのは分かっていたよね?」「ほんで、避難してきたボランティアさんに夜カメラまわして取材してる? バカなの?」「仕事場にするの? 家の中で?」
正直、ぎくりとした。同じ状況にいたら、自分もつい取材しようとしたのではないか―。激しい雨はいつ収まるか、被害状況はどうかと不安が募る夜に、本来は自己完結すべき事柄を被災者の坂本さんの好意で助けてもらっているということを、よく考えることもなく。
今年6月から先月まで、認定NPO法人「大阪被害者支援アドボカシーセンター」(大阪市)主催の被害者支援員養成講座基礎コースを受講した。全10回の講座の講師陣は犯罪被害者遺族のほか臨床心理士、精神科医などの専門家に加え、大阪府警や地検、弁護士会、大阪府など関係諸機関の担当者らという豪華な布陣。犯罪被害者支援に関しては取材を通じ、一定の知識があるとの自負もあったが、一受講者として学ぶと視界は変わった。視座を広げ、深める貴重な機会になった。
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メディアからの参加は過去にもあったらしいが、今回は筆者1人だった。そんな中、ほぼすべての講義で被害者支援の筆頭格に挙げられたある項目が逐一、胸に刺さった。
「マスコミ対策」である。
悲嘆の極みにある被害者を取り囲んで容赦なくマイクを突き付け、そっとしておいてほしいのに勝手に名前や写真を報道することで糧を得ている―。「報道被害」はこんなイメージかもしれないが、今どき「被害者を傷つけても構わない」などと考えて仕事をしているメディアなどいない。むしろ、被害者に寄り添いたい、どうにかして役に立ちたい…と煩悶(はんもん)の中で取り組んでいる人の方が多いのではないか、と思う。
だが、講義で語られた報道被害はまさに前述のイメージで、「マスコミ=被害者の敵」という位置づけである現実に愕然(がくぜん)とした。同時に、この現実を直視し、社会的理解を得るための努力をすべきだと思った。「マスゴミ」と揶揄(やゆ)される時代、メディアの仕事は被害者報道であって、被害者支援ではない―と正論を振りかざしても、理解も共感も得られないのではないか。
自分事にしていこう。「バカなの?」と言われない存在に、なれるように。