障害者施設がある地域は性犯罪が多いという直球の差別が話題になっていたけど、
障害者による加害行為が無罪でやりたい放題なのも事実なんだよな。彼らには責任能力がないから。
俺が通っていた小学校は養護学校と隣の場所にあって、隔週で養護学校の子と一緒に給食を食べるスケジュールになっていた。
同学年の養護学校の子は2人いて、俺の通ってる小学校は1学年2クラスだったので、1クラスに1人ずつ養護の子が来る。
2人のうち1人は知的障害があり喋れないがおとなしい子だった。
もう一人は喋れないし大音量の奇声をあげて誰彼構わず殴りまくる子だった。
殴りまくる子が来るときは付き添いの養護の先生、担任、クラスの誰かが殴られる。
養護の子が来る週は、「おとなしいほうが来てくれ!」と祈ってたし、殴るほうが来るときは「ハズレ回だ…」と絶望してた。
俺も殴られたことあるし、友達も殴られたし、女子が殴られて号泣してたりもしたし、ハズレ障害児が来る日は暗黒だった。
そして殴られる側はどうすることもできなかった。障害児には責任能力がないからな。
怖がって泣きながら走り回る女子もいた。俺は怖がって走り回るのがダサいと思っていたから着席して耐えた。
着席していても走り回っていても殴られるときは殴られるし、
養護の先生や担任がハズレ障害児を拘束するまで何発もグーで殴られながら耐えるしかなかった。
養護の子との食事ルールは、障害者に偏見を持たないための交流教育を目的として設けられていたのだろうけど、
ハズレ障害児のことが悪魔にしか思えなかった。
健常者だから責任能力があり人を殴ると逮捕される「健常悪魔」と、
障害者だから責任能力がなく人を殴っても逮捕されない「障害悪魔」の二種類があり、
絶対に逮捕されない「障害悪魔」とはとにかく物理的な距離をおいて暮らしていくしかないという学習だけが刷り込まれた。
実際、どうするんだよ。どれだけの暴力行為をしても逮捕されない奴とどう暮らしていくっていうんだよ?
養護のおばさんや担任やクラスの面々がグーで殴られまくって阿鼻叫喚、俺も4回殴られ(計4発ではなく、拳で連打されるハズレ日が4回あったということ)、
とにかく耐えるしかないという経験は、本気で憎悪が刷り込まれるトラウマになってるし、それを「障害者差別だ」と言われても反発心しかわかない。
あと障害者全員を差別してない。殴らない方の子に対しては怒りも憎しみも一切持ってなかった。
むしろ人を殴る健常者よりも、殴らない障害者のほうが好ましい。重要なのはまず殴るか殴らないかであり、次に殴るやつを隔離できるかどうかだ。
つまり憎いのは「健常悪魔」と「障害悪魔」の二種類で、絶対に逮捕されない「障害悪魔」のほうがより憎いというだけだ。
それを「障害者差別だ」と言われても絶対に納得できない。
絶対に共生などしない。絶対に拒否する。