かくいう田中さんも前述のとおり、寝る間を惜しんで推し活に励んだ時期があった。推しが出演する舞台やコンサートに通ったり、グッズを買ったり、ネット上での動画配信に時間やお金を注ぎ込んだり……。
「そこでふと気づいた――というより、実はずっと心の奥底で気になっていることがあったんです。それは、これまでさんざん女性の性や外見が消費されることを拒絶し、またフェミニストとして発言をしてきた自分が、“見る”側へと回った途端、自らの欲望のままに推しである男性を消費し、時に過剰ともいえる労働を強いている。本当にそれでいいのだろうか、と」
こうして実感した問題点を田中さんが発表すると、少なくない同志たちから賛同の声が寄せられたという。
「ああ、やっぱり、と思いました。そうなると次にお聞きしてみたいのは、これまで、例えば、若い女性アイドルを消費してきた男オタクたちに、そういう戸惑いはなかったのか? ということです。簡単に比べられることではないでしょうが、これからのフェミニズムを考える上でも、この角度で掘り下げてみる意味はあるのではと思っています」
そんな思いを込めて、書名から“女”を取った。オタクとして初めて同じ景色を見始めた男女。田中さんは次のフェーズを模索中だ。